我執

美術の話を長文で書くのは楽しいんだけど、自分が今考えてることとかに文章で向き合うのを最近ちょっと避け気味だったので、10月一回も書いてなかった。反省じゃないけど、後々の自分は「こまめに書いてたほうの自分」を喜んでくれるので書いてたほうがいいんだろう。


っていう判断が、正しいのかどうなのかよくわからなくなってる。


書きながら考える、話しながら考える、というのができないので、だいたい結論があってそっちに辻褄を合わせていくような話の展開をわたしはする。つまりは言い訳ばっかりなんだけど、「言いたいこと」が最初に確実に存在してないと、話せないし動けない。今がまさに、そういう時期なわけだ。ダイアリの書き方の話じゃなくて、人生の話。


日本で働くのはやっぱりしんどい。昔からバイトも好きじゃなかったし、働くのが楽しいって思えたことが一度もない。ビジネス脳じゃないんだと思う。でもこの道でやっていこうと思えばやっていける。みんながんばって働いているんだもの、って思ったらそれで適応できる、つまらない人間なんだろう。そしてフランスよりずっと良いお給料もらって好きなものを愛でる生活も幸せなんじゃないかと最近ちらっと思う。日本でアイドルが求心力を持つのは人材流出させないための戦略だとしたら、その罠にまんまと嵌ってる。


でも、5年後の自分はそれじゃだめだって思うんだろうな。わたしは賢くないので本当に学問の世界に戻りたいのならこんなことしていたらだめだと思う。


思うんだけどなー。好きなものを好きって言えないでセーブしといていつまでもひきずる、というのもわたしのパターンだったりするのでもうやめたいんだ。


ここまで20分。おそろしく遅筆なのでだいたいこんなスピードです。書いてみてわかったけど、わたしは悩み足りないな。もうちょっと自分の業とか我執とかから逃げないで深く考えたほうがいい。

弔い

弔いは生き残った者のためにある。その通りだと思う。葬儀もなく、ただ心の中で追悼するのは結構しんどいことだった。家族にも同僚にも心配かけないように努めてふつうに過ごしてるつもりだけれど、不意に職場のデスクで彼女のことを思い出しては、後悔と自責の念が襲ってきてやりきれなくなる。記憶というのは身体の一部だから、剥ぎ取られると身を切られるように痛いものだ。だけどそうやって悲しんでいることで、一種の弔いをしているのかもしれない。彼女のためじゃなく、自分のために。こんなことが起きたのに、いつも通り笑っていられる自分の罪を無効化するために。


何にも考えられなくなった日々が過ぎると、今度は言葉が頭のなかに渦巻いて止まらなくなる。何かを考えているんだろうけれど、心が追いつかないので支離滅裂。いざ言葉にしてみるも、どう書いても陳腐にしか聞こえず、わたしにとっての彼女の存在はそんなものじゃないって悔しくて憤る。



 

解放

彼女のこととは無関係に、自分で自分を不幸にするようなことをしでかしてしまった。彼女の死について知らされた夜、誰も話せる相手がいなくて、つい例の男子にメールしてしまった。彼も彼女のことよく知ってるし。でも彼から返信はなかった。
ようやく悟った。ああこの人は、どんなに待っててもわたしの一番つらいときに助けてくれたりはしないだろうなって。




わたしがあの子に囚われている理由は、わたしにとって特別素敵な子だからっていうのもあるけど、もうひとつ、自分が最も嫌な人間であった時期のわたしを知っているからっていうのがあるんだと思う。自分の汚い部分まで知られているということが、離れられない理由になる。一種のマゾヒスムかもしれない。


でも自らむざむざと傷つきにいく必要はないんだろう、冷静に考えれば。今のわたしは、高校生のときのようには振る舞わない。なんのために自分が大人になったかということだ。過去の自分のみじめさを認めないで、無理やり美しい思い出に脳内変換するよりは、今幸せだと思えることひとつひとつを大事にするべきだと思う。大切な人には会いにいくとか、自分のやりたいことをまっとうするとか。そんな簡単なことが、当時のわたしにはできなかった。


本当に、人生の半分近くあの子のことばっかり考えてたけど。もう解放されてもいいかなって思うようになった。あの子が恋人ができたらどうしようとか結婚したらどうしようとか考えてたりもしたけど、究極、元気で生きてくれたらそれでいいと思う。わたしはたぶん、あの子なしでももう生きていける。

重さと軽さ


彼女は詩人だった。
比喩ではない。
彼女の選ぶ言葉は哲学的で、なおかつわたしたちの生活の音がしていて、
高校生の頃のわたしは、隣の席の女の子の寝顔を見ながら感歎するばかりだった。


お昼ごはんに、コンビニのわらびもちとかメロンパンとか食べてるような子だった。白い肌と細い腕。薄茶色の個性的なストレートの髪。繊細で感受性が強すぎて、自分で自分を傷つけてしまうこともあったし、登校拒否してた時期もあったりして、難しい子ではあった。でもわたしは、彼女の話を聞くのが好きだった。古今東西の映画について、文学について、音楽について。ミラン・クンデラを教えてくれたのは彼女だった。
「重さと軽さ、どっちがいい?」
その頃のわたしは「軽さ」と即答した気がする。彼女はどちらを選んだんだろう。


大学受験のとき、彼女はセンター試験を終えてから、まったく勉強をできなくなった。もう大学に行かない、という。彼女はわたしよりもずっと頭が良かったので、「センターだけで受けられるところもあるよ、こことかどう?」って私立大学を勧めた。彼女はその一度きりの受験で無事合格して、仏文学科に進学した。後々まで彼女はそのときのことを「ほんとあっちゃんには感謝してる」って何度も話してくれた。


そして彼女はフランス文学の道を志し、京都大学の博士課程へ進んだ。バタイユを研究してたって聞いてる。同時期に現代詩手帖に彼女の詩が掲載されるようになって、処女詩集を上梓した。その二年後、同じく詩人で新聞記者の男性と結婚した。結婚式は沖縄でごくごく内輪のお祝いをした。ご家族と、旦那さんの友人二人、そして彼女の友達はわたしともうひとりの女の子だけだった。彼女は複雑な家庭で育ったし、ひとりにしておくのが心配な子だったから、これからはこの旦那さんがそばにいてくれるんだなあって本当にうれしかった。他人の幸せで泣いたのってあの一度きり。


                       *


友人伝いに、フランスに留学したって聞いたのが2010年のことだったと思う。京大からソルボンヌなんていつのまにそんなエリートコースに…!ってびっくりしたけど、高校の頃の傷つきやすい彼女のイメージでいてはいけないんだろうなあって思って、今は穏やかな気持ちでがんばってるなら良かったなって安心した。その頃わたしも翌年にフランスに行くことを決めていたので、向こうに行ったら会えるかなあと思ってた。


そして2011年、わたしが渡航してすぐに彼女にメールをしたけど、返信はなかった。しょっちゅうアドレス変えたり電話番号変えたりする子だったから、まあそのうち会えたらいいかな、と思ってそれ以上連絡しなかった。


                       *


三日前。会社でいつものように職務中、一通のメールが届いた。妹さんからだった。今年の6月にパリで亡くなっていたとのこと。理由は書いてなかった。心臓がバクバクした。信じられなかったし、今でも信じられないけど、会社の給湯室で泣きながら、頭の片隅では「彼女ならありえるかもしれない」って冷静に考えてた。


6月。その頃わたしは旅行をしていたから、パリにいたかもしれないし、いなかったかもしれない。
でも、自分がいたらどうなっていたというんだろう。
わたしに彼女が救えたとでもいうのだろうか。


今、高校の卒業アルバムを見てる。
最後のページに、彼女の詩が載っている。
わたしは高校卒業後、この詩を何度も思い出した。
この詩がわたしの高校生活の全てだと思った。


全文掲載する。

卒業アルバムより


雪も降らず、海の気配もないここは
空が8cmほど近いそうだ
校旗が弱く恥ずかしげに垂れ下がる2時間目に
少し笑った
自転車のスタンドを上げる音や
列車の走る音に
時間の突き抜ける長さを感じた


経験が上から落ちてきて
知識が下から突き上げる
仕方がないので低血圧を喰らい
隙間から目覚まし時計を止める
冷え冷えの朝


何でも選んでいいと言われ
選ぶ力のない自分が
道の真ん中で膝を突き、崩れ落ちる
蒸し暑い夜


敗北感を感じようと努力しなくていい
十分負けている
戦わなくてはと身構えなくていい
十分、今、あがいている
何かを得ようと、なくそうとしなくていい
十分、今、得て、なくしている
間違いに大きな×印をつけ自分を罰しなくていい
そんなことは、しなくていい


時折目に入るわずかな誇らしさに
身体が熱くなってとまらない


終わるな、いや、終わってくれ
矛盾からしか生まれないこともある
そして
これから
目の後ろで泣き、骨の中で痛く痛くなりながら
空間を占め、何かを作っては落としてゆく
その背中は、哲学せずにはいられない
ちぎれるほど手を振る


その時、そこで、君は確実に生きていた。

no title


高校時代の親友が亡くなった。


正確には、亡くなっていた。しかもパリで。6月に。


どうしてわたしの友人たちは、はかない人生を選ぶんだろう。
彼女がいなかったら今のわたしはいないのに、
わたしだけが生きていたってしょうがないじゃないか。





それでもいつも通りに日常生活送ることができる自分が嫌で仕方ない。




 

気持ちの整理

腹を据えて、戸塚さんのことを書く。


そもそものきっかけが、「ジュニアに堺雅人に似ている子がいる」だった。笑顔の奇行子がいると。そのころパリだったのでちょっと検索したら、エピソードだけでツボにはまったのが第一象限。その直後にデビューが決まり、友人が海超えてデビューDVDを送ってくれて、初めて普通に話してる戸塚さんを見たのが第二象限。第三象限は、じゃにうぇぶで戸塚さんの超絶長いテキストを読んだとき。そして2月のえび座舞台DVDで転げ落ちるみたいに加速した。これが第四象限。もう戻れないところまで来たのは自覚してる。


いや……まだ自分の中では納得できてないんだけど。
戸塚さんねえ、ほんっとに堺さんに似てるの。表情もそうなんだけど、ふとしたときの仕草とか、言葉の選び方とか、本人は至って真面目なんだけどなんか破天荒なところとか。堺雅人のことをこんなに好きなわたしが言うんだから相当だと思う。しかも戸塚さんは、わたしの知らない堺さんの二十代を体現してるようなところがあるんだよ。自意識にがんじがらめになりながら、それを端正な顔の下に隠して穏やかに笑ってるような。



ねーーーーーーーもうだめでしょ、これ。
「似てるから好き」って、理由が最悪。



わたしにとって、堺雅人がどれだけ大事かということだ。わたしの全ての尊敬と憧憬の念を一身に投影した対象、一生超えられない偉大な存在。父親とか先生に近い。けれど堺さんにも若さ故に不安定だった頃があって、その時期に必死で自分と戦って今があることも知ってる。毎回公演のために何冊も消費して思いを書き綴ったノートたちを、こんなちまちましたことしてるから自分はだめなんだーってある日一気に全部捨ててしまった堺さん。笑いながら話してたけど、それは結構重要な契機だったんじゃないかと思ってる。それがちょうど、戸塚さんが坊主にした姿と重なる。だから、戸塚さんを見てると、あの子が25歳から30歳になるまでに立ち会えるなら、見ておかなきゃいけない気がするんだ。おそらくあと少ししたら、戸塚さんは出来上がってしまう。今の青春スーツもこもこで不安定で、どこか人格が破綻したまま生きていて、でもステージに立つと揺らぎのない真っ直ぐな目をする戸塚祥太は、きっと今しか見れない。


もし戸塚さんが中学で事務所に入ってなかったら、早稲田とか行って演劇に目覚めてのめりこんでいく様が容易に想像できる。あの子そういう出家願望的なのがある気がするんだ。捨てるものがない人間は強いよね。だから怖い。戸塚さんはわたしにとってはハチミツで出来た沼みたいだ。甘くて優しい味だけど、はまったら抜けられない。いや、はまらない!って言ってるのに引きずり込まれる。まっとうに好きになったのなら、自分から降りてったかもしれないけど。うーん。あの子はわたしを悩ませる天才だ。