重さと軽さ


彼女は詩人だった。
比喩ではない。
彼女の選ぶ言葉は哲学的で、なおかつわたしたちの生活の音がしていて、
高校生の頃のわたしは、隣の席の女の子の寝顔を見ながら感歎するばかりだった。


お昼ごはんに、コンビニのわらびもちとかメロンパンとか食べてるような子だった。白い肌と細い腕。薄茶色の個性的なストレートの髪。繊細で感受性が強すぎて、自分で自分を傷つけてしまうこともあったし、登校拒否してた時期もあったりして、難しい子ではあった。でもわたしは、彼女の話を聞くのが好きだった。古今東西の映画について、文学について、音楽について。ミラン・クンデラを教えてくれたのは彼女だった。
「重さと軽さ、どっちがいい?」
その頃のわたしは「軽さ」と即答した気がする。彼女はどちらを選んだんだろう。


大学受験のとき、彼女はセンター試験を終えてから、まったく勉強をできなくなった。もう大学に行かない、という。彼女はわたしよりもずっと頭が良かったので、「センターだけで受けられるところもあるよ、こことかどう?」って私立大学を勧めた。彼女はその一度きりの受験で無事合格して、仏文学科に進学した。後々まで彼女はそのときのことを「ほんとあっちゃんには感謝してる」って何度も話してくれた。


そして彼女はフランス文学の道を志し、京都大学の博士課程へ進んだ。バタイユを研究してたって聞いてる。同時期に現代詩手帖に彼女の詩が掲載されるようになって、処女詩集を上梓した。その二年後、同じく詩人で新聞記者の男性と結婚した。結婚式は沖縄でごくごく内輪のお祝いをした。ご家族と、旦那さんの友人二人、そして彼女の友達はわたしともうひとりの女の子だけだった。彼女は複雑な家庭で育ったし、ひとりにしておくのが心配な子だったから、これからはこの旦那さんがそばにいてくれるんだなあって本当にうれしかった。他人の幸せで泣いたのってあの一度きり。


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友人伝いに、フランスに留学したって聞いたのが2010年のことだったと思う。京大からソルボンヌなんていつのまにそんなエリートコースに…!ってびっくりしたけど、高校の頃の傷つきやすい彼女のイメージでいてはいけないんだろうなあって思って、今は穏やかな気持ちでがんばってるなら良かったなって安心した。その頃わたしも翌年にフランスに行くことを決めていたので、向こうに行ったら会えるかなあと思ってた。


そして2011年、わたしが渡航してすぐに彼女にメールをしたけど、返信はなかった。しょっちゅうアドレス変えたり電話番号変えたりする子だったから、まあそのうち会えたらいいかな、と思ってそれ以上連絡しなかった。


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三日前。会社でいつものように職務中、一通のメールが届いた。妹さんからだった。今年の6月にパリで亡くなっていたとのこと。理由は書いてなかった。心臓がバクバクした。信じられなかったし、今でも信じられないけど、会社の給湯室で泣きながら、頭の片隅では「彼女ならありえるかもしれない」って冷静に考えてた。


6月。その頃わたしは旅行をしていたから、パリにいたかもしれないし、いなかったかもしれない。
でも、自分がいたらどうなっていたというんだろう。
わたしに彼女が救えたとでもいうのだろうか。


今、高校の卒業アルバムを見てる。
最後のページに、彼女の詩が載っている。
わたしは高校卒業後、この詩を何度も思い出した。
この詩がわたしの高校生活の全てだと思った。


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