世界で一番遠い場所


わたしは研究者だけど、本当に書きたいことなんてそんなにない。ただひとりの男の子のことを除いては。


17歳のとき、わたしは君にひとつだけ隠していることがあるよ、って実家の電話でコードレスじゃないコードをひっぱりながらいった。教えてよ、おれに隠し事とかなしだろーっていうので、じゃあ3年たったら教えてあげるって答えた。3年たったらそんな特別な感情なくなってると思ったんだ。今日某ドラマで爽太くんが「12年。…今自分で言ってびっくりした」っていうのがすごいリアルだった。「自分で言ってびっくりした」のに「12年」はすぐ出てくるあの間合い、あれは記憶してるんじゃなくて、とっさに今の自分の年から高校一年のときの年を引く癖がついてるんだね。きっとそのときに世界が一変したから。その12ってすぐに15になるよ、って思ったけど、もしわたしが未来の自分に、その15はすぐに18になって20になるんだよ、って言われたらそんなの怖すぎるから口に出さないでおく。


高校時代のわたしは何も持っていなかった。かわいくもないし、やさしくもないし、かしこくもないし、特別できることもなければ、将来やりたいこともなかった。そういう自分があの子のそばにいてめそめそ頼るだけではだめだと思って、わたしはあの子から独立したいと思った。そして大学に入って芸術学に出会った。最初にわたしに芸術学を教えてくれた先生が、この年になって学問の世界に戻ったわたしにこういった。「あなたが芸術から離れられないのは、愛の喪失を知っているからです」。きっとそうなんだ。世界で一番大切だった人のいる場所からとにかく遠くに行きたくて赴いた新天地で、わたしはあの子の知らない領域の学問を身につけた。それは別に芸術学じゃなくてもなんでもよかったのかもしれないけれど、大学に入ったばっかりの、今思えばほんとにただの子どもなんだけど、今の自分よりもずっと切実に愛の喪失に絶望している状態で、絵画や文学はそういった悲しみを肯定してくれた。わたしがこんなに学問の世界に執着する理由のひとつがこれなんだと思う。


だからわたしは、ずっと研究だけできてればそれでよかった。もういい大人なので人と付き合ったりしたことあるけど、あの子以上に好きになる人は現れないだろうと思ってたし、今もずっとそう。自分が女であることを求められることにわたしは全然抵抗がないので、やさしい彼女のふりをしながら身体も心も与えてあげるけど、わたしが好きだったあの人は、唯一わたしのことを女でもなく男でもなく、ひとりの人間として特別に扱ってくれたなあ、と恋人といるときにときどき思う。わたしは今も、ショートカットだった高校生の頃のままで中身が止まってるんだろう。きっと今もし目の前にその子が現れても、手もつなげなければ触れることもできないと思う。というか、2年半前に会ったときがそうだった。緊張して緊張して、まるで席替えのくじ引きで隣同士になったときみたいにどきどきした。手が届く場所にある彼の身体は聖体のようで、わたしには世界一遠い場所だった。それに比べてわたしは自分のことをひどく汚れたもののように感じた。あの子以外の男なら誰でも同じだと思ったけど、およそ10年ぶりに会って、わたしは自分が大人になったことを後悔した。


わたしはきっと芸術学を手放さないだろう。だけどそのためにはたぶん、一生手に入らないあの子に恋い焦がれ続ける必要があるんだと思う。骨の内側で痛くなりながら、懐かしい音楽に泣きながら、会いたい、会いたいって思い続けているのがわたしの運命なんだと思ってる。


けど。まあ、わりとつらいね。ときどきね。