卒業の前に


ここが岐路か、と感じる。かつて過ぎ去ったいくつかの岐路ではまちがえた。それでもそのことに気づかなかったために後戻りすることも考えず、22歳から28歳まで苦しい年月を過ごした。東京で働きながらひとり暮らしをすること、それだけで精いっぱいだった。みんなこうやって働いているんだ、と自分を納得させて我慢していた。わたしはそれができない人間じゃなかった。もっと純粋で壊れやすい精神を持っていたら、わたしの人生は違ったかもしれないけど、わたしは大量生産された頑丈な玩具のようなもので、壊れないから捨てることもできないし大事にもされないし、邪魔になってもただ存在しつづけるしかないと自分のことをそう感じていた。


大学院に行きたいとずっと思っていた。22歳のときに進学できなかったことがずっと心残りだった。ありていにいえば、そのとき理解を示さなかった両親にも、なんとか進学できる道を探さなかった自分にも、ずっと憎しみを抱いていた。今思えば、誰かに相談すればよかったのかもしれない。でも22歳はそのときの自分には充分大人だと思われた。経済力のない人間は働かなくてはならない。そうして、ぬるりと社会に出た。


フランスに行ったことで人生が好転した。自分のやりたいことをせずに、何が大人だ、と思った。そして自分のお金で大学院に戻った。働きながら勉強をして、電車の中でしか睡眠をとれないような日々が続いた。それでも勉強できるのが嬉しかった。ずっとずっと大学院に来たくて、実際に来てみてそれ以上の喜びがあって、その先の未来など考える余地もないほど幸せだった。


しかし、結果的に、研究はわたしに向いていないと思った。修論は不満足な出来だった。それだけでなく、修論を書くこと自体、最後のほうは苦痛でならなかった。こんなに遠回りをして辿り着いた場所だったのに、早くこの場所から解放されたいと思ってしまった。自分の名前でこの研究成果が後世に残ることを想像したら、耐えられなかった。わたしは結局、勉強が好きなのであって、研究の素質はないと見切った。もし一生大学院に行かなければ、大学院に行けなかったことを呪い続けていたと思うから、その意味では行ってよかったと思う。


とはいえ。また再びビジネスの世界に戻ることになった。こちらが向いているわけではないけれど、働かなくてはならない。しかし、せめて自分が学んできたことを還元できる仕事を、と思っているのだが、それもままならず、まだこれから先を見通せずにいる。もっとわたしが利口だったら、と思わずにはいられないけれど、手持ちのものでなんとかするしかない。


特に仕事のために生きようとか考えてきたわけではない。だけど今なんとなく思っているのは、わたしはもう子どもを持たなくてもいいのではないかということ。子どもは好きだし、小さい頃から自分が母になるのは容易に想像できてたけれど、もし子どもができたことによって自分の存在が肯定できるようになってしまったら、それは子どもがかわいそうだな、と思うようになった。


大事なものは、少なくていい。わたしは自分のことを自分でそれなりに取り扱うし、大事なものがあれば、利害なしに大事にすればいいと思う。切り売りして雑に扱った20代の数年間を肯定するには、そのように考えるしかない。自分の人生を重要なものと考えてきた人たちと同じ土俵では戦えない。わたしの内部には価値などない。これまで学んできたことも、貴重な人間関係も、すべてはわたしの外にあり、いつでも失う可能性があるものである。だからわたしは働かなくてはならない。動くことにしかわたしの価値はない。