sans pause

「これほどエラーの多いスクリプトはないのに、何故か止まらずに走り続ける、それが人間の仕様だ」


フランスから日本に帰ってきたのは、去年の今日6月16日だった。にのみやの誕生日の翌日に出て行って、にのみやの誕生日の前日に帰ってきた。覚えやすい。一年前のわたしは、お金も仕事もなかったけど、これから何しようかなって自分の未来が自分の手中にあることが嬉しくてしかたなかった。齢29にして、わたしはわたしのやりたいことをするべきだ、ってようやく悟ったのだった。結局ブレーキをかけていたのは環境じゃなくて臆病な自分だったのだと。


それから一年後、まさかこんな生活になっているとは思わなかったけど(こんな生活=日本で大学院生やりながら仕事しながらアイドルに夢中な生活)。でも最初、大学入った4月には、わたしはたぶん仕事かアイドルかどっちか諦めることになるんだろうなって思ってたんだよね。正直自分がこの多忙さにここまで耐性があると思わなかった。先々週くらいに寝不足すぎて多少精神がすさんでたりしたけど、それでもたった1回のゼミ発表ですべて報われた気がしたよ。わたしは本来賢くないし理解するのも遅いし勉強する時間も圧倒的に少ないししょっちゅう滅入っているわりに、結局は学問の場に戻れたこと自体が嬉しくて嬉しくて、そこで原動力が満たされているんだろう。この生活が3年続く予定だけど今はそのことは考えない。今日と明日のことだけ考えてる。持続性とか気にする前に、今わたしには読まなければいけない本、会いたい人、出席したい授業がある。


大学の同期の友人たちに恵まれたのがすごい幸運だった。みんな優秀で魅力的で正直だ。彼女らといるとものすごい劣等感と愛着が同時に襲ってきて、全然かなわない、悔しい、って思うのと同時に、帰りたくないなあ、次また早くみんなに会いたいなあと思う。最初に今の大学の先生に進学について相談したとき、「知識を深めるだけなら在野でもできるのですが、同じ領域の研究者がいる場所に行きたいのです」って話したら、「大学に籍を置く意味というのはそれがすべてだよね」って言われた。つまり、人間同士が知的刺激を与え合うと言うこと。わたしが一番情熱を抱いていることを理解できる人達がいるというのは、それはおそろしいことでもあるけれど、いつも思いがけない方向から反響が返ってくるので毎回チャクラを開かれるような気持ちになる。



ここまで来るのに背負ってきた思いとかさ、そりゃあいろいろあるけれど、そしてここにはそういうことばかり書いては埋め書いては埋めてあるけれど、なんかそういうのを一旦おいとこうって今は思ってる。誰のためでもなく、誰のせいでもなく、自分の中に理由があることが結局全力で生きてるっていうことなんだと思う。ってまた生死の話になってきたからこの辺で。今日はベルクソンの『思考と動き』を読むよ。数学やってた人の文章ってすごいぐっとくる。