救済


今まで自分を支えてきたのは、無謀と髪一重の勇気だった。そのおかげでわたしは誰にも依存せずに生きられるようになったわけだけど、代わりに失ったものについて考えずにはいられない。わたしはいろんなことに鈍感になり、無痛になり、外部の影響を受けなくなった。摩擦がなくなった。「なお空気抵抗は考えないものとする。」高いところ、遠い場所、手に届かないものを手に入れるために、いろんなものを捨てて軽くなって飛びたかった。


「重さと軽さ、どっちがいい?」と高校時代の彼女に訊かれた。授業中、ノートのはしっこで手紙をやりとりしてたときのこと。わたしは即座に「軽さ」と答えた。彼女は答えなかった気がする。なんでそんな質問したん?って訊いたら、ミラン・クンデラの『存在の耐えられない軽さ』について話してくれた。映画より小説のほうが断然良かったとかそんな感想。わたしは受験勉強を終えて最初にその本を読んだ。


クンデラチェコから亡命した国は、わたしにとっても自由で居心地がよくて、今まで日本で息苦しい思いをしていたのが嘘のように呼吸がしやすくなった。個人主義で冷たいと言われるフランス人以上に個人主義なわたしには、あの他人を放っておいてくれる空気が肌に合っていた。一生あの街にいてもいいと思ってた。でもあの同じ街で、彼女は自殺した。去年の6月14日。わたしがパリを発つ前日のことだったらしい。




昨日、彼女の実家にお線香をあげてきた。亡くなるまでの経緯をご家族から聞いた。わたしが送ったメールを彼女は読んでくれていたらしい。でも返事はなかった。返事をしそびれている、とわたしの友人に話していたという。


同じ街にいたのに、わたしは彼女を救えなかった。だけど、誰かを救うということは、何をすれば、どうすれば、何から救えることになるのだろう。会って話をするだけで、彼女を深淵から連れ出すことなんてできなかっただろうと思う。いやむしろ、彼女にはその懊悩のなかに沈み込んでいてこそ書けるものがあって、そうして昇華された詩が彼女の生きている証になるのでは、って考えていたのかもしれない。友人としては、何もできなくてもいいからただ生きていてくれればいいと思っていたけど、詩人としては、もっと素晴らしいものを書いてほしい、彼女の才能は世界に唯一無二のものなのだからって勝手な憧れを抱いていたような気がする。尊敬していたから。


彼女にとっての詩と、わたしにとっての芸術学は全然ちがう。彼女は言葉に対する感受性が特別だったし、きっと書かずには生きられなかった。そしておそらく言葉の海にひきずりこまれて殺された。わたしが芸術学を選んだのは、さして取り柄のない人間が作為的に専門分野を作るためだった。だからわたしがこの学問を何があっても手放さないのは、手放しても生きて行けることに気づきたくないからだ。その辺にあるものを拾って自分のものにしたくせに、その偶然を必然にするためにありとあらゆる辻褄合わせをした。そういう生き方が雑だというのだ。


だけど、鈍感だからわたしや他の人は生きて行けるんだろう。繊細で聡明な人から早く死んで行く。


彼女については、もっと長く生きていてほしかったとはあまり思わない。彼女は短い人生を十分に生ききった。彼女の分まで生きようとも思っていない。ただ、彼女が見ていたものを彼女がどんな風に感じていたのかを今からでも知りたいと思う。わたしはこの春から彼女が在籍していたのと同じ大学院に行く。決して彼女のことがあったからとかそんなに重い理由ではないけれど、クンデラを勧められて素直に読んだのと同じような動機なんだと思う。