フリダシにもどる


朝から夜まで本を読んでる。帰国前は、帰ってきたら貪るようにテレビ見る生活を想像してたんだけど、最初の3日くらいがピークで、あとはごはん以外黙々と読書してる。三毛猫もぼくでんくんも放っぽって。ずっと椅子生活だったので、座椅子に一日座ってると尾てい骨(漢字わからない)が痛い。
いやしかし、日本語の本があふれてる国(日本しかない)ってすばらしい。一年ブランクあったから、日本語の難しい本読めなくなってたらどうしようかと思ったけど、全然逆だった。今、砂漠のトマトくらいぐんぐん吸収してる。


少し専門の話。


芸術学って何かぼんやりわかりかけてきた学部2年の頃、わたしは芸術学演習の授業中に「『美術史が転換する瞬間』があるとしたら、何によって転換するのかを研究したいです」って先生たちに言ったんだよね。そしたら「それは風呂敷を広げすぎだ」って苦笑された。このやりとり、すごく鮮明に覚えてるので一語一句このまま。まあ先生の言うことはもっともだと思う。そして結局卒論では、フランス人芸術家の思想と数学、みたいなことをやった。しかしこの卒論でわたしは彼に対する愛情を一滴残らず注ぎ切ってしまったので、じゃあ次はその周辺のダダとかエコール・ド・パリ、いやそこから遡って印象派象徴主義、いやいやもっと遡ってマネとかドガとか近代絵画の黎明期…とかやってるうちに、気づいたらもうずっと担当不在だった。


今年の春くらいから今にかけて、歴史概論系の本を続けて読んだ。無意識に同じような本を選んでたんだけど、たぶん理由は自分で分析するに二つあって、「大枠の西洋史もわかってないのに美術史語れないだろう」っていうのと、「2000年を一冊にまとめた入門書と同じ濃度で美術史を把握してるか?」っていうのと。ロンドンや南仏に旅行した影響もあったんだと思う。今さらとか言わずに、各時代の社会背景あらためて勉強し直そう、って。


(余談ですが、わたしは20%だけ理解できる難解な本を読むほうが、90%理解できるやさしい本を読むより楽しい。たぶん高校のときに、生徒の平均点20点!みたいな試験を鬼のように受けて免疫ができてしまったからだと思うけど、どちらのほうが身につくかは人それぞれ)


それで、今日お風呂入りながら突然思い出したのが、上記の芸術学演習の記憶だったわけですが、わたしはあの初期の動機、「美術史ってどうなってるんだ」っていうのがやっぱりやりたかったのかな、と。時代とか画家とかで区切るんじゃなく、美術史が転換した瞬間、あるいは偽られた理由、その権力を手中に握っていた人間、それを受け入れた社会、そういうのがおもしろいとわたしは思っているようだ。


ジャニで言えば、各ユニをつぶさに研究するのではなく、「男子アイドルとは何か?」っていうのを追究するということですね。わかりやすい!


しかし、男子アイドルの例で明らかなように、これをやろうと思ったら、限りなく中立な眼を持たなきゃいけない。誰担でもないっていうだけじゃなく、事務所側の思惑や市場側の反応も冷静に調査しなきゃいけないし、もっといえば日本以外のアイドルとの比較とか、ゼロ年代社会学とか、カバーすべき領域ははてしなく広い。




まあ、そういう無謀なことをやりたいと思っているわけです。でも人文科学っていうのがそもそもそういうものだと思うから。歴史を紐解いたり、テクストを解釈したりして、最終的には「人間ってなんでこういう生き物なんだろうね」っていうところを考えるのが楽しくて、みんな人文科学をやってる。んだとわたしは理解してる。周りに専門の研究者がいっぱいいるから、何言われるか怖いけどw