マティス展

静物画がこんなにおもしろいマティスって、やっぱり天才だと思うの。性的なセンセーショナルさじゃなく、絵画そのものとして心底楽しめるの久しぶりかもしれない。良い展覧会っていうのは、朝寝起きに飲む一杯の水みたいに、心身にしみわたるというか、頭がゆっくりと覚醒していくような気持ち良さがある。
季節柄もあるんだろうな。冬にムンク、初夏にマティスってやっぱりふさわしい。マティスって1905年から数年のフォーヴィズム期ばかり注目されるけど、わたしはその後、南仏に行ってからの色彩にあふれた絵画のほうが好きだ。うきうきする。



TIF NEWS サイトから拝借しました


ポンピドゥーセンターの今回の展覧会のタイトルは、「ペアとシリーズ Paires et Séries」。マティスは同じモティーフを同じ大きさのタブローで何度も描いている。どちらが習作でどちらが改作、というのでもなく、色や構図やテクニックを変えて、何度も何度も。たくさん見てて気がついたのだけど、マティスはどうやら世の中に出ている技法をとにかく一回は試してみないと気が済まなかったっぽい。そして自分の中で咀嚼してから、もう一度真っ白なキャンバスに向かう。だから、作品の制作年代を見ると、先に描いてるほうはセザンヌ的だったりボナール的だったり、誰かの影響が見られるけど、後に描かれたほうはいかにもマティスっぽい。マティスの絵も、こないだのドガと同じく、モティーフは室内が多い。裸体や肖像画もある。でも全然閉塞感がないのは、こうして他の画家の技法を一度は無批判に取り入れる素直さから来てるからだと思う。そして、何度も描き直す。文章を書いてる人ならわかると思うけど、ちょっとした言葉の配置で、文章がぐんと生命力を増したり、逆に一気に輝きを失うようなことがある。それと同じように、マティスはその微妙なバランスを追求してたんだろう。それには、自分の作品を愛しすぎず、自分のこだわりから自由になれる柔軟性が必要。マティスにはそれが備わっていたから、彼の絵画は室内なのに開放感があるんだと思う。


もうひとつ、開放感をタブローに持ち込むために、マティスが狙ってやっていた技法。例えば、外からの光を入れること。窓の外の景色が見きれるような構図。ギターケースや窓など開けられるものはすべて開けて描くこと。縦横の線をまっすぐにしないこと。それから、白を効果的に使うこと。それらの意図的なテクニックによって、画面にヌケを作る。二次元の長方形のタブローが、もっと広がりを持った世界に見えるのは、マティスの絵画へのあっけらかんとした姿勢と、即興的に描かれたようで綿密に考えられた構図や色彩によるものだと思う。


もう一度行きたいけど、二度目が一度目の感動を超えることってあんまりないので、行くの躊躇してる。


    *


さて、ここからは「美術について語る」ということについて独り言。



この一年、パリやほかの街で観た絵画の話をここで書いてるけど、「わたしも観たよ」っていう人はほとんどいないので、ほぼ自分のために書いている。備忘録以上に記録用。だけど、記録するのはその絵画や美術館についての情報じゃなく、その絵画を自分がどんな風に観たかの記録だ。感想というと、もっと形容詞でいっぱいの日記になると思うので、その絵の何がおもしろいのか、何と比べてどうなのか、何でそういう印象を受けるのか、そういうことを書くように意識してる。なんでかというと、わたしは美術評論というものを読んで開眼させられた体験が何度もあるから。同じものを見ていても、こんなに見えるものが違うのか!って思って感動した。


でもわたしは美術評論の書き方をまったく知らない。いまだに口調だけ真似っこしてる感じ。大学のときに芸術学演習で展覧会批評を書かされたけど、それについて特に良いとも悪いとも言われなかった。でも研究室の先輩や、研究室外で懇意にしてる先生が、わたしの文章をほめてくれたので、そのおかげで書くのが嫌いにならなかったというだけだ。展覧会の話でも、映画の話でも、「君が話すのを聞くと行きたくなるね」って言ってもらったのが、大学時代に受けた最高の教育だったと思ってる。


だから、美術について語ること、一生語りつづけることは、恩返し的な意味合いが強い。わたしは好きな絵画を観れば簡単に幸せになってしまうし、その快楽をさらに貪るために美術史とか美学とか知っておきたいだけで、それを自分の文章で届けたいという気持ちがほとんどない。だから、書かなくていいならそのほうが楽だ。書くこと自体はあんまり好きじゃない。いつも「ほんとはもっとおもしろいのに!」って思いながら書いてる。それでも書き続けるとしたら、わたしはもっと上手に書けるようになりたい、と今切実に思ってる。好きでやってるだけなら、こんなことは考えない。書く対象を単に分解するのでもなく、綺麗にラッピングするのでもなく、フィルターをかけてそれっぽく撮るのでもなく、見せかけのドラマの小道具にするのでもなく。そうだな、その絵を見たことのある人が、わたしの文章を読んだ後で、もう一度観に行きたい!ってなるとか理想。ミステリーの最後の種明かしを読んですべてが腑に落ちて、その該当シーンのページに戻るときのあの感覚みたいな。だからもっと精進したい。わたしのこれは完全に道楽だけど、たぶん人生を賭けたホビーになると思う。