ジヴェルニー


ナビ派の末っ子、モーリス・ドニの展覧会!!


モネはそんな特別好きってわけじゃないけど、ドニの展覧会がジヴェルニーの印象派美術館で開催中というので、昨日初めてジヴェルニーに行ってきた。勝手知ったるサン・ラザール駅から電車で45分+バスで10分。パリとルーアンの間に位置する、セーヌ河沿いの小さな村。


わたしはボナールきっかけでナビ派に興味持ったので、ドニはわたし内ナビ派総選挙でいつも2位だった。でも初めてこうして展覧会でまとまった作品を見て、ドニはもっと日本で評価されるべき!!って思った(自分のことは棚に上げて)。しかもこの「永遠の春」ってテーマ、最初から最後まで桜とかリラとかアネモネとか春満開で、頭上には白い鳥が鳴いていて、その多幸感にたるや、もうもうもう。結局2時間くらい居たのかな。なんかもう半分ほろ酔い気分だった。天国があるとしたらやっぱりそこは春なんだろうな…とかそういうふわふわな思考にならざるをえない、これは。


ドニの絵画は平坦で装飾的。人物も背景もすべて同じ重さで色彩と線に帰納される。でもボナールやヴュイヤールみたいに東洋的な香りはしなくて、むしろ初期ルネサンスフレスコ画みたいな古風さがある。そこにセザンヌ由来の色彩表現の妙が合わさってできる軽さと深みは、ほんとにドニ独特。「軽さ」と「深み」って矛盾するようだけど、なんというか大理石のレリーフみたいな感じ。三次元だけど二次元。でも大理石みたいに真っ白じゃないの。セザンヌゴーギャンの流れを受けて、陰影は明暗じゃなく暖色と寒色の塗り分けで表現される。でもその色の置き方が絶妙な調和で、陰影はあるんだけど重量感がない。だからちょっとテキスタイルデザインっぽい。


敬虔なカトリック教徒だったドニの主題の多くは宗教性を含んだものだけど、おもしろいなあと思うのが、ドニは風景画と人物画、宗教画を区別しないのね。恋人のことも聖母のように描くし、風景画もすごく抒情と暗喩に満ちている。今回の展覧会最大の「永遠の春」シリーズに登場する女性は、ほぼみんな白い衣装を纏っていて、雲の上の世界なのか結婚式なのかわからないけど、聖母も俗人も生々しさは消し去られて、非現実的で瞑想的な春の景色に溶け込んでいる。そして上述のように装飾的なバランスが秀逸なので、理想世界の美しさを追求してるけど耽美っぽくはない。これが普通の邸宅のダイニングに飾られていたのね。すごいなあ、いいなあ。


展示の最後に、ドニの言葉が書いてあった。

Au printemps, les accents de la lyre sont vainqueurs de la mort.
Dans éternel été retentira le chant nouveau.
A l'automne, la musique adoucit les regrets, les tristesses.


春には、リラの響きが死に対する勝利者となる。
永遠の夏には新たな歌が響く。
秋には、音楽が後悔と悲しみを和らげる。


パリに住んでみてわかったけど、冬の暗さが尋常じゃないのね。わたしはもともと春が特別大切な季節だけれど、今年ほど春を待ちわびた年はなかった。暗くて寒くてみんな肩をちぢこませて歩く冬の日々から、明るい日差しが解放してくれたときのあの喜び。周りの人たちがよく、Ça fait du bien !って言ってた。Ça fait du bien って、日本語で言うと、例えば喉渇いてるときに水を飲んで「生き返るー!」みたいな感じ*1。だから春=生命/冬=死のイメージなのね。そしてその死を征服するものが花なんだ。


        *

そしてモネの邸宅と睡蓮の池へ。



        *


それからジヴェルニーの背後の山へ登った。
観光客の人どころか地元の人も入らないような山だけど、遠目で見て行ける予感がしたのでひとりで入った。わたしは山の麓で育った人間だから、距離感とか進む方角とかある程度勘がある(その代わり、海とか草原とかは不安になる)。でも雨上がりでアナスイのブーツがドロドロになった。こういう風にふらっと山に入ってひたすら歩いたのいつ以来かな。


この手前に見えてる集落がジヴェルニーの全部。ほんと小さい村。



だけど行ってよかった。春の空気と花が人間をこんなに喜ばせるものかと、あらためて思ったよ。

*1:英語でいうと It makes good だけど、ニュアンスも同じなのかな