圧倒的な断絶

前回の続き。ジェネレーションギャップについて、ちょっと別のこと考えたりなど。


わたしは実家が本当に嫌いで嫌いで、中学生のころは夜公園でぼーっとしながら、大人になって一人暮らし出来るようになるのを待つのと今死ぬのと、どっちがいいかとか考えてた。まあ反抗期なのである意味こういうのは健全な思考なんだけど、今から思えば、わたしが両親の考え方と相容れなかったそれなりの原因があったんだなーってわかる。
わたしは、父が45、母が40のときに生まれた。父は戦前、母は戦中生まれ。父が21歳のときに1960年代の高度経済成長が始まる、そういう年代。岐阜の農村で生まれて早く父母ともに亡くした父は、長兄らに育てられてなんとか高校を出た。そして大阪の中小企業に経理職として入り、定年まで勤めた。母は大阪の商家の家系で、女学校卒業後、役員秘書の仕事を18歳から35歳まで続けた。そして2人はお見合い結婚。当時1979年。高度経済成長期が高止まりで落ちついた時期。80年代生まれの姉とわたしは、物心ついたときにはバブル崩壊


さて思春期のころ、わたしが両親に苛ついていた理由は「両親に教養がないこと」だった。実家は奈良の田舎で小中高と公立だったけど、たまたまものすごい優秀な小学校で、小学生時代に十分すぎる教育を受けることが出来た。(余談ですが性教育もさかんなリベラルな学校だった。それはまた別のときに話そう)うちの両親はわたしに一度も「勉強しなさい」と言ったことがない。それどころか、わたしが塾に行きたいっていっても行かせてくれなかった。実家には書籍だってほとんどない。あ、百科事典はあったな。80年代の子ども部屋の定番。百科事典は好きだった。でも他の本を買ってもらえないから、図書館に入り浸るようになった。そういえばアナトゥール星伝がすごい好きだったんだけど、あれは「図書館の奥で本の中の世界に吸い込まれる」っていう少女時代のわたしの夢そのものだったんだな。はてしない物語ふしぎ遊戯も同じ構造。


話が逸れたけど、つまりわたしは10歳くらいのころから活字に飢えてた。そして中学生になって大人の本を読めるようになると、母親とはもう話が合わなくなった。文学についても哲学についても母親が何も知らないことが驚愕だった。まあ中学生で哲学とか言ってる時点で典型的な中2病ですが笑えばいいさ。そのころは片道1時間くらいかけて大阪の荒本にある大きい図書館に行って、人文科学の棚の陰で本読むのが至福の時間だった。結局最後まで塾とかには行かせてもらえなかったから暇だった。そんなに本が好きなら買ってあげるよ、とか親から言われたこともない。完全放置。いや、毎日一汁三菜作ってくれて、掃除も編み物もご近所との付き合いも上手な立派なお母さんなんだけど。わたしがなんでそんなに本を欲しがるのかわかんなかったんだろうね。


境遇を愚痴っても仕方ないんだけど。この後両親に失望する機会が2回あって、わたしの大学進学と姉の大学編入学が父の定年後にあたって経済的に大変だったときと、わたしが大学院行きたいっていったときに反対されたとき…ってこっちの話はもういいか。とにかく前者のとき、「45で子ども生んだら、63で大学行くの当たり前でしょう、なんでそんなこと考えてないの」ってすごい怒ったんだよねわたし。その言葉だけでいえばわたしの言った事は正論すぎるんだけど、たぶんねえ、戦後を全部生きてきた世代には、そんな20年後のことなんて考えられなかったんだろうね。
だって生まれたときには兄弟ですいとんをとりあってたのが(この話、母は未だにする)、20歳のときにはテレビと洗濯機のある生活だもの。50歳ごろのバブル崩壊まで、ずっと日本は上がり調子。人付き合いが悪い上に十分な教育を受けてない父でも、ただ真面目に働けば、どんどん暮らしは豊かになった。まあ豊かにっていっても、うちの収入はまわりのおうちと比べたら底辺だったけど、すいとんから比べたら格段に水準上がっていってた。そんなときに「知の世界の広さ」とか「精神的な豊かさ」とか、考える必要がなかったんだろう。生きていくのに必要なのは、今日も明日も健康で会社に行くことだけ。物価だってどんどん上がる激動の時代に、老後とか考えても無駄だったんだろう。いや、無駄というか、予想以上に良くなる未来しかそれまでなかったんだから。それが、だんだんと不況になり、思ったような定年後の収入は見込めない。本気で経済は永遠に成長すると思ってたんだろう。今も思ってるかもしれないけど。わたしはわたしで、不況って言われてもこれしか知らないから、こんなもんだろうと思ってる。


だから、教養のあるなしとか、物事への見識の深さとか、そういうところで両親を憎んでたのは、ある意味昭和から平成への移行がもたらしたギャップのあらわれだったんだなあと思う。それから、昔だったら小さなコミュニティの中で同じ価値観の人たちと暮らしていたのが、奈良のベッドタウンに一軒家を持って、わたしは新しい世代の教育を受けてしまった。しかも今みたいに経済格差が広がる前、かつゆとり教育始まる前だから、学校で勉強すれば高校も大学も行けて、周囲の友人の家庭環境が総じてアカデミックなことに気づいてしまった。「所得格差」が「教育格差」を生む、とかいう新聞記事を見ると、いまだにしょんぼりする。わたしだって、学問の話ができる家族がほしかった。社会の話でも経済の話でもいい、すごいなーこのひとにはかなわないわーって思える両親がほしかった。そういや、姉はどう思ってたんだろうな。あの人はわたしとは違うベクトルでよく勉強する子だったけど、東京のすごい学費の高い私大に自力で行ったので、わたしよりも周りとの収入格差で大変だっただろうな。


___ (推敲の結果、ここから先を書き直しました)___


家族の話を長々としてしまったけど、まあつまりは、2012年になって時代を振り返ってみると、うちの家族が崩壊危機にあったのもそれなりの時代背景があったということです。たぶん、戦前生まれと80年代生まれほど、価値観のギャップがある世代間もそうそうないんじゃないかと。なので、他人事と思ってみれば、うちの家族はひとつのケーススタディとしておもしろく観察できる。本を読んで何が良いことあるかというと、こういうふうに自分のことを相対化して新たに認識できることだと思う。別に本からじゃなくても、新しい知見が得られるなら仕事の現場とか飲み屋でもいいんだけど、新しく知識を得られることで何がわかるかといえば、今まで何を知らなかったのかがわかる。わたしは自分の考え方が合理的で正しいと思っているけど、別の人にとっては別の理屈があって、お互いにその根本的なズレを認識しないままいがみあってても不幸なことになるだけ。なので、わたしは両親世代の考え方のバックボーンを知れて、遠回りだけど自分の家族のことがわかるようになった。両親は両親で、10年単位で時代のパラダイムが変わっていくのに慣れてるし、高齢になって人間丸くなったうえに時間は有り余るほどあるので、最近になって美術館行ったりしているらしい。母はパリにも来たがってたけど、「お金がないからまた今度にする」っていってた。それは東京に舞台遠征とかしてるからだよw ともあれ元気で何よりです。