ロンドン旅行記 II

旅行記 I、作品タイトルを追記しました。


さて2日目の日記。




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7時くらいから起きて、ハイドパークをめざす。その前に朝ごはん。近くの適当なレストランに入る。イギリスの朝食ってトーストと卵とベーコンが必須なのね。すっかりフランスの朝食に慣れてた自分は、くろわっさんとかはちみつとかくだものとか食べたかったけどなかったので、ベーコンエッグマフィンを注文。おいしかった。紅茶はポットでたっぷりの牛乳と一緒に出てきた。ティーバックで出てくるフランスのカフェとは違うねえ。


そしてハイドパーク。


と思ったら、ここは隣のケンジントン・ガーデンズらしい。遊歩道を歩いて今度こそハイドパークへ。


起伏も少なく、遊具もなく、池と芝生とときどきベンチがあるだけの公園。昨日とはうってかわってよく晴れた空。朝日が眩しい。でも天気が変わりやすいロンドン、風が強くて雲がどんどん流れていった。上の写真は、湖の近くで360度まわって撮った。こんな場所が街の真ん中にあるのっていいね。ちょっと新宿御苑と似てるかも。違うところはハイドパークは無料なところ^^
ビートルズがアルバムの撮影をし、ローリングストーンズやレッチリやブラーがコンサートをした場所。今は静すぎて全然想像できないけど。


「これは水仙です。菜の花はまだ咲かない」(2004年大河より)(お約束)


馬車も走ってます。


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ハイドパークを出るともうメイフェア。May fairといえば「片道の切符を握りしめた」ですよ。18歳のわたしが北海道行きの飛行機に乗ったときのテーマソング。そしてこのMay fairの一角に、サヴィル・ロウ3番地があるのです。


ちょっと上がんない??この表記。


メイフェアは日本橋みたいなところだった。高級なブティックがたくさんあって、仕立てのいい背広を着たジェントルマンでいっぱい。道行く人にサヴィル・ロウの場所を教えてもらって、角曲がったら、あった。


3番地。


まさかの工事中だった。


向かいの歩道に立って、屋上を見上げる。


表通りから一本入っただけなのに、喧噪が遠くに聞こえる。ぼーっと立ってたら、日本人らしきのおじさんとその息子と思われる二人が3番地の前後をうろうろしてる。ビートルズファンなんだろうな、と思ったけど、こういうときわたしは助けないので見て見ぬ振りしてたら、「日本人ですか?」って話しかけられた。「3番地の入口、工事中みたいですね」って話をしたらちょっと落胆してたようだけど、でもおじさんも屋上を見上げて、「ここがあの…」って感慨深く見入ってた。


実は(ここまで引きずっといてあれだけど)、わたしがサヴィル・ロウ3番地に来たかったのは、GLAYにそういう歌があるからだった。特別大好きな歌だけど、正直、サヴィルロウ3番地に何があるのか今回ロンドンに来るまで知らなかった。いや、本当に好きなんだけど、わたしの中のサヴィル・ロウはもう由来に関係なく自分のなかに確固として存在していたので、実際にその曲名がどういう意味なのかとか考えたことなかったんだよね。でもわたしに話しかけてきたこのおじさんは、わたしのことをビートルズファンだと思ってるので、期待を裏切らないよう会話してたら、いろんなこと教えてくれた。


ここはビートルズの事務所アップル・コアがあった場所で、ロンドンにいくつかあった事務所のうち、バンドが売れてから構えたところなのでこういう高級街にあるらしい。そして関係者だけで最後のコンサートをすることになり、屋上で演奏を始めたら、周囲のオフィスの人たちが「ビートルズがコンサートやってるぞ!」ってみんな群がり大騒ぎになって、結局警察に演奏を止められた、というエピソードがあったとのこと。


当時の写真。借り物ですが。


アップル・コアって、GLAYにとっての loversoul music & associates と同じなんだよね。音楽を自分たちの手にとりもどそう、っていう。そして奇しくもスガさんも、去年事務所を辞めてインディーズに戻った。オートメーション化されてる音楽ビジネスの中にいると、自分の音楽までもオートメーション化されそうで、と言った。GLAYの会社もスガさんの個人活動もまだ始まったばかりで、5年後、10年後はどうなってるかわからない。それでも 動かなきゃいけないと思ったんだろうな。一方で、ジョン・レノンに憧れてギターを持ちはじめたthe bitters endのあの子は、この前日に活動停止を決めた。ロンドンに染み込んだミュージシャンたちの気配が立ち上ってくるようでちょっと緊張した。


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サヴィル・ロウを後にしたはいいものの、気持ちが切り替わらなくて街を散歩する。


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それからテートモダンへ。


テートモダンは、とにかく建築を見たかった。ヘルツォーク&ド・ムーロンの建築。そのためにわざわざセント・ポール大聖堂からミレニアム・ブリッジを渡って行った。
芸術学をやってた人ならわかるかもしれないけど、同じ研究室の人でその芸術家あるいは建築家の専門家がいると、暗黙の不可侵条約みたいなのがあるんだよね。友達の恋人みたいな感じ。ヘルツォーク&ド・ムーロンはまさにそれだった。わたしの敬愛する先輩の卒論のテーマだったので、なんかいまだにテートモダンというとそのイメージ。語りにくいったらないw


そういうわけで、テートモダンはハードが一番見応えがあった。ソフト、つまり収蔵作品は、うーん…言葉を濁したくなる感じ。


どんな絵画も最初は現代美術だったのだから、わたしは芸術学やりたいのなら、現代美術を見つづけなければいけないと思っている。でも難しいね。現代美術で心に響くものが最近全然見つからない。こちらのコンディションの問題なのかな。1時間くらいで観終わって、地下のミュージアムショップでお買い物など。


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そして再び、ナショナルギャラリーへ。思えば大学で最初に芸術学の発表をしたのが、フェルメールだった。今のわたしからしたらずいぶん古典的だけど、芸術の素養がないころの自分が最初に感動したのがフェルメールだったから、その感覚は大事にしなきゃと思ってる。さっきの不可侵条約の話で言えば、それ以降、周囲でフェルメールを研究テーマにした人はいなかったので、いつまでも淡い恋の思い出的な感覚。


フェルメール <<ヴァージナルの前に立つ若い女>>


ヤン・ファン・エイク <<アルノルフィーニ夫妻像>>


ベラスケス <<鏡のヴィーナス>>


ラファエロ <<アレクサンドリアの聖カタリナ>>


レオナルド <<岩窟の聖母>>


時計見ながら本当にぎりぎりの時間まで堪能した。フェルメールとデルフトの画家たちの部屋は本当によかった。


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帰りは、15:01ロンドン発、18:38パリ着のユーロスター。本当はもっと遅い電車がよかったんだけど、切符とれなかったので。そしたらフランスに入った途端、雪で大往生。その上架線も切れたとか言って、5時間くらい停まってた。パリに着いたの夜中0時半。でもまあ眠ったり起きたりしながら新書一冊読み切れたし、わたしは旅に出て電車に乗ってるぼんやりした時間嫌いじゃない。


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そんなロンドン30時間の旅でした。もうちょっと時間があれば、テートブリテンと、ウィリアム・モリスのケルムスコットの邸宅に行きたかったんだけどね。あっケルムスコットはコッツウォルズにあるんだよ。ってどうでしょう好きにはたまらないワードですね、コッツウォルズ。最後までテレビっ子ですみません。


今回会えなかった友人のことは、こんなに落胆したこと最近なかったけど、海外ランデブーいつか絶対リベンジしたい。さて次会えるのはどこだろうな。東京か、パリか、あっ一番可能性高いのは大阪だわw 高尚な話も下世話な話もどっちもできる貴重な友人。さてこれから、渡せなかったお土産の梱包作業にかかります。