灯台

わたしはいつも「ここではないどこか」のことを考えていた。それではなんだかいけないような気がして、大人になったら完成された職業人にならなきゃいけないんだって思ってたから、ずっと後ろめたかった。たとえば、学生っていうのは人間として未完成で、学んだことを使って何をするのかによって人間の価値が決まる、くらいに思ってた。だから、まっとうな就職活動をしないで、かといって大学で勉強したことをろくに生かさないで、「お金貯めて早くフランスに行くんだ」って思いつづけてるのは自分でも据わりが悪かった。


大学卒業直後半年間がわたしの暗黒時代なわけだけど、思い起こせば去年こっちに来るまではずっと毎日嫌々過ごしてた気がする。今は我慢しなきゃいけないときなんだって思って。でも今思えば、無駄な我慢だったなあって感じる。わたしには、こうして日本の外で過ごす年月が必要だった。それは子どものころから直感的に思ってたことだけど、自分でも理屈がつけられないから、まじめに裏付けを考えて、それを実行するまでのステップを考えて、とかやってた。そんなことしなくてよかったのに。なんか理由はわかんないけどこれをしたい!っていう内なる欲求は、往々にして正しいんだと思う。これだけ回り道してようやくわかった。


短期的にも長期的にも、確固とした目標があってそれまでの年月は完全なる通過点で、ってくっきりわかれてるようなことって実際にはないんだろう。灯台を目指して航海するけど、いよいよ灯台に近づいたら次の新しい灯台を見つけなきゃいけない。そうじゃなきゃ座礁するから。次にしたいことを遠くに置きながら、その都度方向性を確認しつつ、同時に今いる場所が過去の自分の目標値だったことも認める。そうやって動きながら次のことを考えていくものなんだろう。


6月に帰国した後のこと、まだ決定ではないけど、フランスの大学院で美術史勉強したいと思ってる。修士行くかわりにフランスに来たつもりだったけど、やっぱり諦めきれなかった。もうこんだけ執着があるんだったら気の済むまでやればいいと思う。我ながら。でも受けるとしても来年かな。今の語学力じゃ入学できても授業わかんないからもったいない。


暗黒時代の話。大学卒業は決まって、でも大学院行くお金がなくて、札幌に留まることもできずに一旦実家に帰って半年くらい過ごしてた。時給720円で東大阪市の軽作業バイトとかしてたな。それこそ刺身の上に菊を乗せるような仕事。ほんと底辺な生活だったから思い出したくないけど、そのときも暇さえあれば美術館行くかフランス語の勉強してた。現実逃避のための勉強だったから全然身についてないけれど、わたしにとってその二つは安心と憧憬の象徴なんだろうな。自分のホームでありながらいつまで経っても憧れていられるという。