蜜月

3ヶ月って、わたしのミューズ(頻出単語)と仲良かった期間と一緒なんだよなあ。高一の12月から3月まで。まさに蜜月だったね。そのときも付き合ってないけど。放課後の教室とか電話とかで、すごいどうでもいいことばっかり話してたけど、ほんっとうに楽しかった。友達だけど兄妹みたいな感じだった。その幸福な3ヶ月の思い出だけで10年…いやもう13年か。いまだに思い出すことが多すぎて、もっと長かったような気がしてた。
精神的に戻るところがあるというのは強い。それもあって、わたしはそのミューズの男子を手放せないんだろう。実際にはあんまり何もしないけど、何かあったときに人知れず頼る。誰にも迷惑かけないし、いいと思うんだ。自分のなかで処理してるようで、感覚的にはわたしのなかの自己がわたしのなかの他人に頼ってるような感じ。
そういえば昨日書かなかったんだけど、あの子の未来について聞いたんだよね。これからどうしたいの?って。そしたら、「何年か後にはパリを離れて両親と一緒に住む。でもその前に、1年でいいから日本に行きたい。普通の日本人みたいに暮らしたい。それが僕の夢」って言ったんだよね。25歳の男の子にしてはささやかすぎる夢。でも「ただ普通にその国の人みたいに暮らしたい」って去年のわたしと同じで、しかもわたしはその1年を過ごすために今ここにいる。だからそれ聞いて、なんかもうひとりにしてあげようって思ったんだ。あの子のなかに自分を見たような気持ち。


人格が身体を離れて他の人の中に棲みつくことってあると思う。だから「わたし」はいろんな人の中に分散してそれぞれで生きてるって感覚もあるし、当然わたしのなかにいる他の人も、意志をもって生きてる気がする。だから、昔よりあんまり人と離れることが怖くなくなってきたのかもしれない。生きてる限りは大丈夫。わたしの心のなかにいるのに見殺しにしたり、逆に他の人のなかにいるわたしを無理に殺して死骸を放置しておくよりは(表現が過激ですが)、それぞれそれなりに生き続けて、必要なときにはアクセスできればいいんじゃないかと思う。わたしが高校時代好きだった人っていう存在にいまだに全面の信頼を置いてるように、あの子が何かあったときにわたしとの思い出が役に立てばいいなあと思ってる。


相変わらず無駄に冗長で個人的なアムールの話ばっかり書いてますが、そんなわたしも日本時間29歳になりました。フランス時間はあと7時間。年齢については普段からあんまり考えてないけど、年齢システムのいいところは、途中で逆転しないところですね。今までお姉さんお兄さんだった人はこれからもお姉さんお兄さんでいてください。年下の人は今までどおり年長扱いしないでください。中身伴ってないから。同い年の人はあいばさん30歳の誕生日を共に震えて待とうぜ。