仕事道具

日本語の本読まない、とかいって今がっつり読んでる。河合隼雄心理療法の本。


広告業界で4年くらい働いてたわけですが、現在日本語の先生やってて嬉しいなあと思うのは、目の前にお客さんがいて反応が手に取るようにわかること。広告の仕事してたときは、クライアントの向こうにいる「消費者」とか「街行く人」とかに照準を合わせて、会ったことのない人たちの行動シナリオを一生懸命想像しながらなんとかやってた。その一個一個のプロジェクトも長いし、効果出るまでに時間もかかる。わたしが前職でしんどかったのは結構そこだった。「大衆」ほど見えづらいものはない。


それに比べて、今は小さな教室の中で、お客さんたちはわたしが伝えたいことをどんどん吸収して活用してくれる。考えたら不思議な仕事だ。学生たちは、お金を払って教師の言う内容を理解しようとする(日本では疑り深いクライアントたちを説得するためにどんなに苦労したことか)。疑問があればその場でレスポンスがある(広告でそれをするのは高いコストがかかる)。毎週毎週、学生たちは向上する。後退することはあまりない(ときに広告は「マイナス効果」というおそろしいベクトルも持っている)。教師の采配次第でどんどん新鮮な空気を送り込むことができる。


とまあ、こんなふうに、前の仕事の経験があったうえでの今の充足感だったりするんだけど、基本的に「人間を深いところから動かす仕事」という共通点があってですね。教師業を5ヶ月弱やってきて、今ものすごく人間の心理というものに興味を持っている。


この話書いたことあったっけ、日本にいたときにわたしは銀座の高級クラブホステスのエッセイを仕事のために読んでいたんだけど(いったいコミュニケーションって何だ、って思ってあらゆる関連本を読んでた時期がある)、それが今の仕事にも使えるんじゃないかと思って実験してる。
例えば日本語の授業で学生を満足させるためには、(1)その学生をしゃべりたい気持ちにさせること(動機の形成) と、(2)しゃべったことが相手に伝わったと感じさせること(達成感)、(3)相手が自分のことを理解してくれたと感じさせること(承認欲求の充足) の3つが大切。どれかかけても満足させられない。ついでにいえば、教師はうまく授業を展開させることが役目であって、教師に付随する知識や経験値は案外重要度が低い。主役は学生たちだから。文法的な知識を勉強しておくのは当たり前だけど、それに加えて学生たちが前に話したことを絶対に忘れない。経験の浅いホステスがナンバーワンになるときと似たような理論です。


あともう一つ頼りにしてるのは、堺さんが読んでた演劇の古典、スタニスラフスキィのメソッド。教室はひとつのスペクタクルであり毎日が本番だから、その場でどんな話題に転がっても、どこを膨らませるかどこを深く掘り下げるか、もっとも教室が楽しくなるようにその瞬間に考えなきゃいけない。わたしはこれが上手くないので今も練習中。


そして今新しく知りたいなあと思ってるのは、河合隼雄の無意識論。言語を教えてるとどうしても本人の言った言葉に注目してしまうんだけど、言葉に顕われない心理に想像を馳せられるようにならないといけないな、と思って読みはじめた。河合隼雄ってやっぱり偉大な人だったんだな。「人の心がいかにわからないか、ということを確信をもって知っているところが、専門家の特徴である」*1って一文を読んで、すごい科学者だなあとも思ったし、それでもわからなくても安易なところに逃げないで、耳を傾け続けることができるっていうのもすごい強い人だなあと思った。文体は軽妙で、ちょっと世阿弥っぽい。臨床/実践の人同士、似てるところがある気がする。


念のためいっとくけれど、友達と話すときはこんなこと考えてないからね。気のおけない友人とは、わたしの話したいことを話したいペースで話すよ。これは仕事道具です、いわば。

*1:『心の処方箋』新潮文庫