ポリフォニー

天賦の才能っていうか、類い稀なる感性っていうか、なんなのあのひと!惚れるしかない!



Cite de la musique(音楽博物館)で開催中のクレー展に行ってきた。東京発つ直前にやってた近代美術館のクレー展が見たかったんだけど忙しすぎて見れなかったから、ここでリベンジの気分。展覧会タイトルは「パウル・クレー ポリフォニー」。クレーの絵画の音楽性をピックアップして、クレーが画題によく使っている“ポリフォニー”って音楽用語を引っ張ってきたもの。音楽博物館だけあってクレーが書いた楽譜とかノートとかいっぱいあった。作品はほとんどパウル・クレー・センターからの貸し出し。美術館ではないからね。ふだんはここの展示スペース、どうしてるんだろうな。


クレーの展覧会って実は初めて。常設展とかで断続的に見てたのと全然イメージ違って、すごいびっくりした。なんなのクレーって。スイスの平和な家庭で生まれ育って、やわらかい色彩の抽象画から最後は天使の絵に向かった人…みたいな印象でいたけど、すごいグロテスクなデッサンが結構あったり、色彩理論がめちゃくちゃ論理的だったりして、ちょっと同一人物と思えない。クレーはその生涯で、青騎士バウハウス、ダダ、シュルレアリスムにも接触してる。でもどこのグループにも属さない独特のポジションにいるのは、主義とかなくてもやっていける自分の才能を自覚してたからだろうな…とか作品見ながら思った。なんか途中で、美大の学祭に行ってたまに「この人すげえ!」って思うような錯覚に陥ったんだよね。そのくらい新鮮でみずみずしくて、それでいて革新的で、ああこの人は画家になるために生まれてきたんだなあって思った。努力とか意志とかで補いきれない表現力が、ちょっとした線とか色使いから溢れ出てしまってる。それこそもし自分が美大志望で学祭に行って、在学中のクレーの絵を見てしまったら、無条件で惚れてるわ。(そしてまだ会ったことのないパウル先輩に憧れて、翌年その大学受験するんでしょうね)(そして進学してみたらパウル先輩は退学して旅に出ちゃってたっていうオチですね)


絵画における音楽性って結局なんなんだ、って話ですが、クレーに関しては「色彩が音色で構成がリズム、作品全体がそのハーモニー」って言える気がする。情緒的な表現をすれば、絵画から音楽が聞こえる。今回の展覧会では特に、クレーがストラヴィンスキーとかドビュッシーとか幼い頃から弾いていたっていうのを知ってから作品を見たので、ああなるほどそうなるのかーってすんなり納得させられた。楽器はクラシックだけど、リズムもコードも斬新で、それでいて全体が豊かに響きあってるというか。あ、そうそう、その若き日のクレーの資料のなかに、幾何学のノートがありまして。実はここが一番テンション上がった。数式とグラフが書いてあるんだけど、すっごい綺麗で文字がカリグラフィーになってるの。その端にクレーが女の子の絵を落書きしてて、そのデッサンがものっすごい丁寧で緻密なの。ノートじゃなくて美しい楽譜みたいだった。これはもうわたしのほうの性癖の問題かもしれないけど、音楽と数学と美術をいっしょの頭で考えてる人間に出会うと興奮する。しかし凄い人というのは最初っから凄いんだな。溜息が出た。


クレーなんて知ってるつもりで行ったけど、今日初めてクレーのことちゃんと考えたんじゃないだろうか。今日はなんか感動して雰囲気にのまれてるうちに終わっちゃったから、もう一回行きたい。1月15日までやってます。あとクレーの書いたものも読みたくなった。今日帰りにミュージアムショップで『Théorie de l'art moderne(現代美術の理論)』っていうクレーの著書を買おうかどうか迷ったんだけど、これもしかして邦訳されてないのかな。されてないとしたら読みたくなってくる。どういう理屈であの作品たちを作ってるのか知りたい。


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ここのところ、自分の書いた文章が好きじゃない周期に入ってるのですが、忘れたくないことは記録しておかないと忘れるので書いてます。でも書いてるうちに、自分の駄目なところが見えてきたりとか、文章の整合性をつけるために思ってもないこと書いてたりとかするので、それを直視するのが嫌なんですね。今メルロ=ポンティ読んでて、彼は「言葉の前に思考が単独で存在するのではない。言葉にしたときに初めて思考が現実化する」ってずっと言ってるのですが、いまだに実感としてよくわかりません。