愛読書厨

最近読んだ本の話など。

もの食う人びと (角川文庫)

もの食う人びと (角川文庫)

いわずもがな、しょうちゃんの愛読書。装幀は杉浦康平辺見庸さんの本って初めて読んだけど、これが“読ませる筆致”というやつか…って感嘆した。寝食削って一気に読んだよ。
裏表紙には「著者は紛争と飢餓線上の風景に入り込み…」って書いてあるけど、実際はもっと、“人間ってなんだ?”っていう根源的な問いに向き合わざるを得なくなる内容だった。食べたい、食べられない、食べない、食べるしかない、食べてしまった。食べるということの、精神への影響力の大きさははかりしれない。
一番ショックだったのは、従軍慰安婦だった女性たちの話。歌を歌うと軍人たちがあんこ餅をくれた。嬉しくて仲間と一緒に食べた。そのとき気が緩んで、禁じられていた韓国語を話してしまった。怒った軍人たちに餅を吐かされた。そして犯された。かすかな幸福から地獄に突き落とされた彼女たちの「食の記憶」の話は、ページから目を背けたくなるほど苦しかった。
チェルノブイリ放射線汚染スープの話は、これ1994年頃の話なんだよね。今読むと、まるで状況が現在の日本と同じで、言葉を失う。目に見えないものへの恐怖と、それが日常になることの恐怖がいっしょくたになってる上に、「でも今これを食べないと何を食べればいいんだ」って目の前の現実に判断を迫られる。チェルノブイリの事故から何年経っても何十年経っても、人々は結局どうすればよかったのか正解はわからないんだよね…。歴史は繰り返す。だけど人間は大事なことほど学ばない。
好きなエピソードもあった。ウィーンのプラター遊園地の大観覧車の中で、フルコースを食べる話。いわば空中食堂。想像しただけでわくわくしないですか。わたしはもともと高いところで食べるの好きだけど、飛行機の機内食みたいに食べさせる義務があるから出されるものでもなく、どこかの高層ホテルのステーキレストランのように男が女に見得を張るためのものでもなく、ゆっくり一周してまた元に戻ってくる、その意味のなさがすごく良い。すごいウィーンに行きたくなった。というか、世界中の観覧車に乗りたくなった。しょうちゃんの観覧車にまつわる記憶のひとつにこれも入ってるんだろうなあとか思って、結局最後はしょうちゃんに思いを馳せたりして。


日輪の遺産 (講談社文庫)

日輪の遺産 (講談社文庫)

堺さんの作品の原作、読みたいときとそんなに読みたくないときとあるんだけど、なんで今読みたくなったかっていうと、堺さんが撮影から半年経っても一年経っても、何度も日輪の遺産の話をするから。そんなに過去の作品のこと話すのめずらしい…って思って、今さらだけど読むことにした。
いやーおもしろかった。戦時中の話だけど、森博嗣ならこれはミステリーに分類する小説だと思う。最後の最後まで種明かしがされない。その最後の4ページのために、一冊読んでるような感じ。
しかし真柴さんは本当に何にもしないのね。エリート軍人で周りの様子をただ見てる役、って堺さんが言ってたけど、ほんとにそうだった。でもいざとなると強いんだよね。居合いの達人なんだよね。そんな体育会系の硬派な真柴さんに対して、文化系男子二人、福士くんの小泉中尉とユースケサンタマリアの野口先生の絡みが好きすぎる。だれですかこのキャスティングしたの。心得すぎてやしませんか。
あと、日輪といえば土屋太鳳ちゃんですね。堺さんがイチゴをあげたエピで、一時期その界隈では有名になった女の子。鈴木先生で小川さん役をやってた子といえばわかるのかな。そのたおちゃんが、病弱だけど芯が強くて凛としている美少女役なのがもう完璧。わたしたおちゃん好きすぎて、木曜日の夜、あらしより先にダウンタウンDX検索してるレベル。あ、写真集出るらしいよ(宣伝)
けど脳内映画でもう心ゆくまで堪能してしまったので、本編に見なくていいような気さえする。見たいとすれば、福士くんが少女たちの浴場に軍服のまま入ってきて、たおちゃんの白い背中を流すシーンですかね。いや、あるのかそれ。もう見た人はわたしに言わないで。


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聖地厨しかり、愛読書厨しかり、好きな人のことを知るのに、現在の露出とか見えるものを求める以上に、生まれた場所とか今まで読んできたものとか、内側から攻めていこうとする傾向があります。フィジカルなストーカーはやだけど、メンタルなストーカーはもっとやだよね。わたしが今まで読んだ本を、誰かに「全部読んでるよ」って言われたらすごい嫌だもの。だから堺さんとかは、ブクログとかしてなくてほんとによかったと思うよ。それでなくともわたし、堺さんの出てる作品より、堺さんが読んだってどこかで話してた本のほうが前のめりに摂取してる気がする。あースタニスラフスキィこっちに持ってくればよかったなあ。