ディクテ

うちにいるオセアンヌの学校がまだ始まらないので、毎日ジョエルが勉強を見てる。そのなかに「ディクテ」っていうのがあって、ジョエルが声に出して読んだ文章をオセアンヌが書き取る教科なんだけど、それがまたびっくりするくらいできないの。8歳の子どもなりに日常の母国語ペラペラなのに、avoir+過去分詞とか書けないんだよ。びっくりする。お母さんのジョエルがフランス語の先生なので、かわいそうなくらい厳しく指導されてる 笑
それを見てたら「あつこも一緒にやる?」ってなって、今一緒にディクテさせてもらってる。非常にありがたい。わたしはボキャブラリーが課題。オセアンヌはグラマーが課題。男性形/女性形/複数形は二人同じところで間違うので、わたしは安心するんだけど、彼女は悔しがってる。


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こちらに来て、考えが変わったことのひとつは、正しく流暢なフランス語を話せることってフランス人にとってどれだけ大事かっていうこと。正直、美術関係のテキスト読める程度の語学力になればいいと思ってたから、会話は困らない程度にできればいいって考えてたんだよね。でもいろんな人と関わるようになって、フランス人のアイデンティティってやっぱりフランス語にあるんだなあと。それも、文学のなかのフランス語じゃなくて、会話でのフランス語。みんな本当におしゃべりするのが好きで、家族や友人や同僚と、あるいは偶然居合わせた他人とでも、いつでもどこでもずーっとしゃべってる。そういうときに、そのネイティブの会話に入れたらフランス人、そうでなければ異国人扱いされる。排他的ではないけど、赤ちゃん扱いというか。しかもフランスには歴然とした階級差別があるので、違う階級の人とはあんまり交流しない。それを判断するのは、もちろん服装とか振る舞い方もあるけど、言葉使いが一番重要らしい。確かによくよく聞いてると、降りる駅によって話し方が全然ちがう。



そして考え方が変わったことのもうひとつ。日本人は無理して国際化しなくていいんじゃないかということ。上の「おしゃべりが大好き」ともつながるけれど、フランスはつまりはリア充でできている国だということです。家族が大事で、友人が大事で、1ヶ月のバカンスにはPC置いていってしまうような人たちなの。そういう人たちに、日本的な凝りまくったゲームとか2ちゃん文化とかは作れない。フランス人で日本が好きっていう人は多いけど、たいがい薄っぺらいからね。もっとディープなところに日本らしさはあるのに、って思う。それで話は戻るけど、日本人がもっと外を向いて広い世界を知ってしまったら、平均的な国際人ばかりが出来てつまらなくなるんじゃないかと思うんだ。社交的で家族を大事にするのも良いことだけど、誰とも話さないで引きこもって趣味の世界に没頭できる人たちにしかできないこともあると思う。スペシャリストからジェネラリストになることはできるけど、ジェネラリストからスペシャリストにはなれないんだよ。だから敢えて言いたいの。日本は島国で、日本語っていう特殊な言語を扱う唯一の国で、マゾヒスティックで変態的な発想の人が育つ素地があったのは良かったんじゃないかと思う。あ、良かったっていうのは、世界の財産としてっていう意味でね。