ヴォラール画廊

こないだのプティ・パレの影響を受けてヴォラールのこと調べ始めた。ヴォラールの著書もたくさんあるんだけどまずは概要から、ということで、2007年にオルセー美術館で開かれた「セザンヌからピカソまで ーヴォラール画廊の傑作ー De Cézanne à Picasso, chefs-d'oeuvre de la galerie Vollard」っていう展覧会の図録を参照。その中の寄稿文のうちの1本、「セザンヌからナビ派 目撃者の通過」を読んだ。


話はこの1枚の絵画から始まる。モーリス・ドニの「セザンヌ礼賛」。

セザンヌ静物画「果物入れ、グラス、林檎のある静物」について、ヴォラール画廊に集まった画家たちが語り合うというもの。左から、眼鏡を拭いているのがルドン、その隣がセルジエ、ヴイヤール、店主ヴォラール、ドニ自身、ルドンと話してるのがゴーギャン、ランソン、ルーセル、パイプふかしてるのはボナール、一番端の女性はドニの妻。ボナールの格好良さが群を抜いてるのと、柱の影に隠れるヴォラールの所在なさっぷりがちょっとおもしろいけど、それはそれとして。


本文より。

  • セザンヌ礼賛」というタイトルにもかかわらず、この作品はナビ派の成功の証でもあり、当時の美術界の中心(ヴォラール画廊)に自分たちがいる、という表明でもあった。
  • ドニが深く影響を受けたのはルドンとゴーギャンであったので、この絵画はその二人へのオマージュでもある。
  • ナビ派とヴォラールとの関係は、歴史的にセザンヌと結びつけられている。ルドン、セザンヌ、ドニはヴォラールの尽力によって成功した。
  • いつも黒の木炭画を描いてたルドンに、ヴォラールは色を使ったリトグラフを作ってみるよう勧めた。“ルドンの黒”は評判が良かったけれど、ルドンが顧客のことも生活費のことも気にしないで自由に制作に打ち込めるよう、ヴォラールは支援した。
  • また、ボナールはヴォラールのお気に入りの寵児だった。ナビ派の中でもボナールの作品は積極的に買い上げた。ボナールに展覧会のポスターの仕事を発注したり、ヴォラール出版として挿絵の仕事を依頼したりした。
  • ヴォラールは触発者 catalyseurとしての役目を担った。


この最後の「catalyseur(発音はカタリズール)」っていう単語が興味深い。日本語だと「触媒、触発する人」っていう意味。似たような言葉で「媒介 medium」っていうのが英語にもフランス語にもあるけど、複数形のメディアはあの新聞とかテレビとかの媒体のことだし、絵の具を溶くメディウムもこの単語。それに対してカタリズールという概念には、単に媒介するだけじゃなくて、触れて化学変化が起こるという意味がある。ヴォラールは、作品に対して批評はしなかったらしい。その代わりに、「こういうの作ってみたら?」とか「君にはこういうのが向いているんじゃないか?」って画家をその気にさせるのが上手だった様子。例えば上記のなかでも、ルドンにリトグラフを勧めたり、ボナールにポスターや挿絵の仕事を発注したり、よく人を見てるなあという印象。ボナールは商業用イラストレーションを描かせてもよさそうだけど、ルドンには逆に、生活費のためにイラストレーションの仕事を引き受けなくてもいいように配慮する、といったような。しかもその基準は市場価値ではなかったようで、画家たちが新しい挑戦をした結果、もし完成させられなかったとしても、それは投資としてリスクは充分見込んでいた。でもその代わり、気に入った画家に対しては独占的な画商となり、そしてそれらの画家たちの作品が最終的にヴォラールの財産を築き上げたとのこと。


良い仕事の仕方だなあ、と思う。ときには作品のプロモーターとして、ときには画家の生活の支援するパトロンとして、ときには出版物のエディターとして、そしてときには触発者 カタリズールとして、画家たちの芸術的価値を高める仕事。後援というよりはもう少し引っ張りあげるようなイメージ。経済的な成功と芸術的な成功を分けて考えているのに、結果的に両方とも上手くいっている。その副産物として、ドニに「ヴォラール画廊=美術界の中心」って誇りを持たれるほどに。(そのわりに上の絵の扱いはひどいけど 笑)画家たちからしてみれば、インスピレーションを触発してくれる人でありながら、出来た作品には何も言わず、どんどん作りなよって言ってくれる人。上手いなあ、と思う。子どもの上手な育て方みたいだ。


ヴォラールが当時行ったことを現代でやるとしたら、どういう仕事になるんだろう、ということを考える。
最近思うんだけど、わたしが19世紀末から20世紀初頭の時代が好きなのは、視覚的な好みももちろんあるけど、自分がそこに居ないからなのかなあって。自分が体感できない時代だから想像の余地があるし、現代から振り返ると、聖と俗の間、保守と革新の間、という感じがして、それは“俗”や“革新”の行ききった状況(言ってしまえば、行ききって行き詰まった現代の状況)が見えてるからなのではないかと。でもそれって、自分を傍観者に置きすぎているんじゃないかと思うんだよね。今わたしが生きている現代で何か意味ある事を為そうとしたら、それこそヴォラールやナビ派の人たちが未来の芸術の方向性を見据えて(あるいは、ひとまず仮定して)行ったように、わたしももう少し先の未来を想定して自分のすべきことをしなきゃいけないんじゃないかなあとか。学生の頃に「君たちは知識人としての役目を果たさなければならない」って教えられたのを思い出す。高等教育を受けて社会に出るということは、どんな形であれ、世界を動かす人間にならなければならないということ。今のわたしのように、自分の興味だけ追求してひとりでうっとりしてるようじゃだめなんだろう。


 *


ところでボナールのくだりにですね、「彼はヴォラールの髪をくしでとかしていた」っていう表現があるのが気になるんですけど…。これ読み間違えじゃないよね…?あんなに繊細な芸術系男子がヒゲのおじさんの髪をとかすとか、なにその構図。それわたしじゃなくてもあらぬ想像しちゃうと思うんだけど。まあボナールは感性が女性的だとは思うよ。誰かそういう薄い本作ればいいんじゃない。