毎月第一日曜日

は、美術館無料の日!!


って意気込んで、昨日はリュクサンブール美術館に行きましたら、リュクサンブール美術館は企画展のときしか開館しないそうで、行ったら閉まってました。そうかそういうことか。常設はないのね。くすん。
でも初めてリュクサンブール公園行ったよ。日曜日のリュクサンブール公園ってすばらしいね!テュイルリー公園が代々木公園だとしたら、リュクサンブール公園はお花がたくさんあって、ちょっと年齢層も高くて、新宿御苑みたいな感じ。そして噴水のある池(よく夏のパリのニュースで子どもが水遊びしてる噴水)ではラジコンヨットを操縦してる人たちがいて、あれめっちゃ楽しそうだった。タック!とかクローズ!とか思いながらずっと見てた。わたしヨットの理論がすごい好きだったんだよなあ。自分で乗るのは断念したけど、あのラジコンヨットちょうやりたい。美術館行く以上に満喫したかも。ところでリュクサンブール公園マロニエの木、もう紅葉してたよ…。パリの夏ェ…。


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そのあとプティ・パレに行って来た。2004年に来たときは改装中だったから、こちらも初めてのプティ・パレ。あそこ良いね、何より建築がすばらしい。外観も壮麗だし、内部の天井画や階段の作りはアール・ヌーヴォー的で、展示室のつなぎ方もちょっと複雑な構造になってて軽く迷うのがおもしろい。コレクションは、中世〜ルネッサンス期のドゥトゥイット・コレクションと、18世紀〜20世紀初頭のパリ市のコレクションの二部制。そんなに美術に興味ないけどパリに来たら一応ルーブルとオルセー抑えとく?とか思ってる旅行者なら、プティ・パレのほうがよくまとまってていいんじゃないかなあ。ルーブルは作品数多すぎて酔うし。


おもしろかったのが、「セザンヌと現代性」の展示室。セザンヌルノワールとボナールと…っていうラインナップだったんだけど、よくよくキャプション読んだら、ここにある作品は全部アンブロワーズ・ヴォラールっていう画商のコレクションだったらしい。19世紀末はまだアカデミックな美術が全盛で、若い革新的な芸術家たちがなかなか認められなかった時代だけれど、このヴォラールの画廊のような個人画廊のおかげで、芸術家たちは絵画で生きていくことができたし、今日までそれらの作品が残された、という。


左がボナールの描いたヴォラール。右はルノワールの描いたヴォラール。

 


ヴォラールは出版業もしていて、シャガールがラ・フォンテーヌの『寓話』に挿絵をつけたのも、「ヴォラール出版」の編集者としてシャガールに依頼したからなんだって。それ以外にヴォラール出版の本では、ヴェルレーヌの『パラレルマン』にボナールが挿絵を、バルザックの『知られざる傑作』にピカソが挿絵をつけているらしい。なにそれちょう見たい。その当時の話を『画商の想い出』っていう本にまとめてあるらしいので検索した。そうかー和訳はもう絶版かあ。フランス語版…だと読むのすごい時間かかるけど、今読んでる広告史のテキスト終わったら次読もうかな。


なんか、こないだからナビ派とか広告史とかヴォラールとか、自分の興味が同じところをぐるぐるしてる気がする。けどまだうまく言葉にできない。


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夕方からはマレのヨーロッパ写真美術館へ。行ってみたら、実はここは無料じゃなかったっていう。「パリ市」って書いてあったから公立かと思ったら財団だった。もう今日だめだ。そういう情報収集能力にわたしは問題がありすぎる…。でもせっかく来たし、7ユーロだったので入ることにする。
現在は「de l'air」っていう雑誌のドキュメンタリー写真展と、ジェーン・イヴリン・アトウッドっていう写真家の個展をやってた。J.E.アトウッドは、刑務所内の受刑者や身体障害者を被写体にしてるんだけど、うーん…見ててしんどかった。写真って、絵画以上に現実的でその撮影行為自体があからさまに不躾なのに、その被写体がよりセンセーショナルだったりすると、感情がついていけない。どうしてわざと性や暴力や悲劇を撮ろうとするんだろう。その上、常設展のテーマが「戦争の影」だったので、最後まで目を背けたくなるような作品が続く。写真美術館出るときには疲弊しきってた。


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さてここまででルーブルまだ行ってないんだけど、いつ行けばいいのかな。「創作する紙」っていう企画展に行きたいんだけど、でも並びたくないよう。