新陳代謝

勤務は今週いっぱいまで。そんなに感傷的になったりはしてなくて、ただ平穏に退社できればいいと思ってる。周りのほうが惜しんでくれて、正直面倒。仕事関係の人と大勢で飲むのとか、自分の送別会だとしてもあんまり前向きになれない 笑


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身の丈を知る、ということをずっと考えてる。例えば部屋を片づけながら。そんなに贅沢してるつもりはないけれど、ふつうの20代の女子らしく、洋服買って本買ってDVD買って化粧品買ってときどき映画観に行って友達と食事してコンサートも舞台も行って…っていう生活は、今のわたしの収入からすれば明らかに出費過多だったと思う。なぜかそれでまわっていたけど、それはわたしがひとりで稼いでひとりで使ってるから。こんな家計簿、他人に見せたら絶対怒られる。


好きなものが多いと人生楽しいけど、毎日精神がぎゅうぎゅうに忙しくて失ったものを見つめる時間がないからそれで満たされてると思えてるのかもしれない。酔いが覚める前にお酒を飲んでいるような、終わりのない中毒状態。(まあアイドルとかエンターテイメントってそういうものよね)


「多くの人は幸せと喜びを混同している」


ブータンの首相が言ってたね。喜びは、感覚が満たされるという一時的なもの。幸せは穏やかで継続的なもの。世界は驚きに満ちていて、わたしたちは新奇なものに出会うたび感動するけど、過剰にエキセントリックなものへの感動で毎日が埋め尽くされているのは、決して創造的な生活ではないと思う。



なんだか、大げさな話になってきたけれど。

「スーツケースで持っていくもの」「実家に一旦送るけど向こうで落ち着いたら送ってもらうもの」「実家で保管してもらうもの」「東京で処分するもの」の4つに分けて洋服を整理した。わたしはモノを処分することに快感を覚える性向があるので判断は早いんだけど、処分するか実家に保管してもらうか迷うのって、だいたい“その服を着ていた時期が好きか嫌いか”。モノに染み込んだ記憶が良い思い出だと捨てにくいし、嫌な思い出だとさっさと捨てたくなる。だから、さっさと捨て去りたいモノが多い人生というのは好ましくないんじゃないかなあ、とか思ったり。


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新しいモノを手に入れて、古いモノを捨てていくというのは、基本的に気持ちのいいことだと思う。例えばお正月におろしたての衣類に着替えるように。そういう生活の代謝はあっていいと思うけれど、その新陳代謝のサイズ感を身の丈に合わせて生きることを、わたしはそろそろ覚えたほうがいい。もっと少なく買って、少なく捨てる生活にしたい。これまでみたいに定期収入が確保できる環境を手放して、資金的な不安があっても冒険することにしたんだから。お茶の先生が言ってた。「モノはいつか壊れるけど、お勉強したことは出て行かない」。


なので、向こうではいろいろ物質的な満足を諦めて、ふつうの20代女子っぽくない生活をすることになると思いますが、生暖かく見守ってください。パリは物価高いから今からすでに心配なんだよ!!(ということを言いたかっただけのダイアリ)