渡仏


6月中旬から、フランスに行くことになりました。


まだこれから仕事探して、住むところ決めて、…っていうある意味無謀な移住計画。でも最初に「日本を出よう」って思ったのが2年前の4月末に決算賞与もらったときなので、準備に2年かかったことになります。まあ主にあらしがその2年の時間とお金と魂を奪っていったんだけど 笑


行く国はどこでもよかったんだけど、「1.英語圏じゃなくて」、「2.芸術が発達しているところ」に行きたいなあって考えたら、フランスは知らない国じゃないし言葉も少しはわかるし、行ってから暮らしやすいかなあと。もう大人ですから留学ではなくふつうに働いて生活費を得る必要があるので、向こうに行ってからのんびり語学だけやってるわけにはいかないから。


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そもそもの動機は、日本で働き続けることに疑問がずっとあって、その疑問がいつまでたっても解消されないから。っていう結構後ろ向きな理由。この国では、正社員として余暇を犠牲にしても限界まで働くか、非正規雇用で不安定な身分のまま働くか、どちらかしか選べない気がする(少なくともわたしのスペックでは)。どうしてその中間をとれないんだろうってずっと不思議で仕方がなかった。それは日本が特別なのか、それとも国外に出てもそれは常識で自分だけが非常識なのか、それを確かめたいと思った。だから一旦外に出て、自分の目と耳で他の国を見てみれば納得するんじゃないかと。それに、別に閉じ込められているわけでもないのに、この国の外に出て暮らすという選択肢を選ばないのはもったいないなあって思うし、あとは自分の年齢を考えると、1年行って帰ってきてもまだ30前っていうタイミングもあって、今年の夏から行くことにしたのだった。


実のところ、将来のこと考えるときにいつも一番大きかったのは、大学時代の友人が亡くなったことだった。もう5年前になる。水の事故だった。芸術学で一緒だった後輩の男の子で、当時教科書に載ってるようなファインアートしか知らなかったわたしにいろんなことを教えてくれた(わたし先輩なのに 笑)。卒論のときにわたしがフランスへ調べもの(という名の観光旅行)に行ったときに、その子と向こうで偶然、しかも2日連続出会ってすごい笑ったのだった。それでポンピドゥーセンターとか行ったんだけど、わたしはそのときまだ卒業後どうするか決めかねていて、フランスには装幀芸術の伝統があるから「本を作りたいなあ」ってなにげなく言ったら、その子はすごい喜んでくれたんだよね。その記憶が今でもある意味わたしの羅針盤になってるような気がする。あの子の期待は裏切れないなあって。だから向こうに行ったらフランスの装幀とか製本まわりのことをたくさん吸収したいと思ってる。仕事とは別で、これは一生の趣味にするつもり。


他にも、いろんな人がわたしの渡仏計画を見守ってくれた。最初のころからずっとわたしのとりとめのない渡航話を聞いてくれてたかずみちゃん。行く行く詐欺でずいぶん経っちゃったけど 笑、あの国立が最初で最後になるかもしれないから一緒に入れてよかったよ。ありがとう。実際に始動する直接的なきっかけをくれたきみこさん。きみこさんの話を聞いてから、渡仏のハードルが一気に下がりました 笑。感謝してます。ぴろさんには、好きなものを好きなままで海外で生活できるんだ!って教わりました。ようこちゃんには、ようこちゃんみたいに可愛くて凛とした大人になるために今何をしたらいいのか、今もたくさん教えてもらってる。あと、ひとつのところにじっとしていられないわたしに寛容でいてくれる両親にも感謝してるし、わたしのわがままを快く受け入れてくれた会社にも恩を感じてる。本当にわたしは自分勝手だし人間できてないしもう一度人生やり直したほうがいいんじゃないかと思うけど、いろんな人に支えてもらってかろうじてここに存在しています。ありがたいことです。


まあ、向こうに行っても今と同じ暮らしをしてると思います。仕事して、帰ってきたらごはん作ってテレビ見て本読んで、ときどき映画館なり美術館なり行って。向こうの様子はこちらで書いたりすると思うので、今後ともよろしくお願いします。


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東京に引っ越してきた日に新幹線の中で聴いてたのが、スガさんのJuneだった。いまだにJuneを聴くと、品川あたりの景色を思い出す。その6月に去ることになるなんて、不思議な因果。