根室より

地震の日からうすーくずーっと緊張が続いていて、不眠と過眠を繰り返したり、躁鬱が極端になったりしていた。余震は怖いし、仕事はどんどん中止になるし、不安なことが多すぎて。堺さんの安否は間接的に聞こえてきてたけど、せめて堺さんがこの東京の街にいてくれたらそれだけで安心できるのに…って、日が経つにつれて何度も何度も思ってた。


そこに降りてきた一本の蜘蛛の糸

ドラマ撮影のため、北海道根室でニュースをききました。いまも根室に滞在していて、被災地や東京との、あまりの状況のちがいに戸惑っています。

被害にあわれた方、身近な人が被害にあわれた方、いまは皆さんにおかけする言葉がみつかりません。もう少し時間がたてば、言葉や感情がカタチになってくるでしょう。それまでは、ただただご無事で、としか言いようがありません。

特に仙台は、数年前映画「ゴールデンスランバー」でお世話になった町です。かわりはてた姿を映像でみても信じられないおもいです。
映画のなかで、僕の演じる人物は、まわりの人々に助けられながら仙台中を逃げまわります。彼はきっと周囲の「生きろ」という力にささえられていたに違いありません。

映画と現実、状況はまったく異なりますが、いま、似たような気持ちでいます。機会があれば、おちついた時、何かのかたちでお会いすることもできるでしょう。それまで、今日いちにち、いまこの時間を、なんとか無事でおすごしください。

堺雅人


 糸色-Itoshiki-糸式


声をあげて泣いた。


子どものころ、帰ってこないお母さんを待ってるときみたいな気持ちだった。今日までずっと。いつもと同じ部屋で、いつもと同じテレビを観て、別にふつうにしてるつもりだったけど、お母さんの顔を見たとたん、泣いてしまったときのような。
あのひとは根室でやるべき仕事をやっていて、この震災のことを気にかけていてもきっと最後まで全力で現場に集中するひとだろうから、堺さんの様子がわからないのは仕方ないと思ってた。役者ってそういうものだしって。でも、堺さんの言葉を見たら、もうだめだった。堤防決壊。


昨日、ひさしぶりにゴールデンスランバー観た。仙台の街といえばわたしにとってはゴールデンスランバーの中の世界だったから、昨日観ながらもいまいちぴんと来てなかった。堺さんの文章を読んで、やっと現実と虚構の間の整合性がついた。堺さんが逃げ回っていたあの通りもあの公園もあの川も、もうあの景色のままじゃないんだって、ようやく思考が追いついた。ずいぶん鈍感な頭だけど。


今日いちにち、いまこの時間を。堺さんの言葉には、他人の痛みに共鳴するリアリティがある。早く平穏な日常がもどりますように、じゃない。今日この寒さの中、電気も水道もない場所で避難生活をしてる人のところに届けようとする言葉だ。うまく伝えられない気持ちは伝えられないなりに、嘘をつかずに精一杯伝えようとする言葉だ。そんなの前から知ってるのに、ぼろぼろ涙が止まらない。あの地震の日以来、初めてこんなに泣いた。堺さんだいすき。ほんとすき。


きっとわたしだけじゃなくてみんな、少しずつ何かをセーブしながらいま生活してるんだと思う。そのストレスはひとりでは癒せない。近くにいる人でも、わたしみたいに遠い人でもいいから、一度思いっきり甘えて泣いてみたらいいと思うんだ。そしたら明日からまたがんばれるから。