手で作る、手を離す

ずっと作りかけの本はあるんだけど、少し実験的な印刷をしようとしたらどうしてもうまくいかなくてたびたび中断。身の丈にあったものを作ったほうがいいのかなーと思い直し、思い切って一旦仕切り直すことにした。今は練習用にシンプルな中綴じの小冊子を作っている。


最近工作をするといえば、嵐のうちわか嵐担の子へのプレゼントか仕事でカンプ作るのが多かったんだけど、手を動かすのは好きかもしれない。すごい不器用だから、完成度は客観的に見ても限りなく底辺だけど、作業してる時間は楽しい。特に、カッターとかはさみで紙を正確に切る時間が好き。


本を作る作業は、大きく分けて「文章や絵、写真を準備する」と「組版する」と「造本する」の3つにわかれる。今まで自分で本を作ったときは、文章だけでビジュアル要素ほとんどなしにして作った。なぜかというと、わたしは絵も写真もできないけど文章だったら自分で作れるし、レイアウトの関係で原稿を変えたりするのもやりやすいから。ってことで自分で文章を書いてた。必要なのは“素材”だったので、正直内容は何でもよかった。でも実際書くのと造本するのと両方やってるとわかるんだけど、文章を書くほうが圧倒的に早いし楽だし、出来上がったものに対する自己愛も高い。別に自分の文章がうまいと思ってるわけじゃなくて、単純に“思ったように書けている”という実感がある。初めに想像した完成形と出来たものが結構近い。


それが、組版〜造本作業になると途端に萎縮する。想像力にも乏しくなって、自信もなくなる。作業している間は楽しいんだけど、出来上がりを見てだいたいがっかりするし、欠点ばかりが目につくのであまり直視したくない。これはおそらく慣れだろうと思っている。頭も身体も、造本に関してまだ最適化されていないんだと思う。自分の実力を見極める力が足りないから無理な方法に挑戦しようとしてしまったり、簡単なことでつまずいては解決策をさぐるために時間を費やしてしまったり。


そうやって遠回りして考えることが結構大事なのかな、と最近は思ってる。教えてくれる人がいればすぐに解決してしまうことでも、何度もいろんな方法試してみて自分の最適解を見つけたほうが、後々役に立つのかもしれない、と期待したりして。わたしの本作りの先生である、空中線書局の間奈美子さんも独学で覚えたっていってたもの。あと間さんと郡淳一郎さん(編集のほうの先生)にいわれたのは、「最後まで完成させること」と「人に見せること」。このうち、前者の「最後まで完成させること」がわたしは苦手だ。過剰に完璧主義なんだと思う。思い入れが強すぎて妥協できない。でも今はとにかく仕上げることが目標。ずっとひとつのことにかかずりあっていると鮮度が落ちてしまうから、ある程度で手を離して、次のものを作ったほうがいいんだろうって今は思ってる。そのためにも、背伸びしすぎないこと。自分の出来る範囲のことを今はやる。


さて、作業に戻ろう。熱中しすぎてcommand+Sを忘れないこと(今日もう2回イラレ落ちた)