啓蟄


いま観なきゃいけない舞台、いま行かなきゃいけないライブって絶対あると思う。昨日はまさにそれで、何度も観てるひとたちのライブなのにすごい感動して目が離せなかった。帰り道もずっとふわふわ幸せな気分で、今日観たもの聴いたものを一滴も零さないようにって反芻してたら、家に着いてから会社にコート置いてきてしまったことに気づいた。帰りは寒かったのに、思い出すのも忘れてさっきまでの記憶に耽ってたらしい。


あきらくんは文章でも雄弁に語れるひとだけど、わたしは彼の歌を聴きに行きたかった。意味じゃなく声を聴きたかった。歌でしか伝わらないものがあると思ったし、そのためにあのひとたちは音楽を選んだんだと思ったから。


深刻な感じになって萎縮してたらどうしようって少し心配してたんだけど、実際行ってみたらすっっっごい楽しそうで、思わず笑ってしまった。でも昨日のはほんとに良いライブだった。みんなにこにこしてるんだけど、内側で核爆発してるような熱さがあってすごくかっこよかった。いちごジャムヨーグルトが今夜特別な曲になった。「少しずつ、ずっと愛して」っていうのは、そう言える相手を求めてる歌だと思ってたけど、もしかしたら、世界に自分をそういう風に受容してほしいっていう歌なのかな…って思ったりして。まったく甘えんぼうだなあって苦笑してしまうけど、それを思っても口に出せないわたしよりはずっと正直。


わたしはあの子のプライドを傷つけたくない、傷つけられてるのも見たくない、って思ってた。でもあの子はきっと、もしそうなってもそのままの自分で生きていけるくらいに強いんだと思う。正面から向き合って、きちんと痛がって、もしまた辛いことがあったとしても、最初のときと同じくらいの感受性で痛みを受け止める覚悟があるんだろう。純粋さと混濁、まっすぐさとゆがみ。あの子のなかではそれらが未分化で、境界が曖昧。その葛藤を整理しないで矛盾は矛盾として受け入れている。


昨日の自分のえらかったところは、仕事を優先したところ。彼らの音楽が求められているように、わたしにも求められてる役割がある。だから昨日は最初少し観れなかったけど、後悔はしていない。




啓蟄を迎えて、地下で蠢いていたものたちが這い出てきて、あきらくんたちが春を運んできてくれた。