憂しと優しと

CREAの月記がすばらしかった。

本当なら全部引用したいところだけど、要約するとこういう内容でした。

うつ病の役をやることになった。
・「実際のくるしさをしらない僕が演じていいものだろうか」と迷ったくらいだ。
・ところがいくら調べても、どういう病気なのか、よくわからない。
・いろんな本に「うつになると、食欲がなくなり、やせる」とかいてあったから、この年末年始はダイエットをやってみた。
・ところで「やさしい」というコトバは「やせる」から変化したものらしい。「やさし」はもともと身がやせほそるくらい「つらい」という意味だったのだ。
・時代がくだると「まわりのためにあれこれと、こころのカロリーを消費する」という意味がでてくるが、現代の「優しい」もまた、おもいやりがあったり、本来持っている欲望をおさえたりしている状態のことだ。
・そうおもうと、ついつい自分をせめ、しばしば体重まで落ちてしまううつ病患者は、もっとも「優しい」ヒトビトといえるのかもしれない。
・古代中国の「俳優」は、ひとを笑わせたりだれかのかわりにかなしんだりするヒトビトだった。
・結果はわからないが、精一杯こころのカロリーを消費して、優しい男を演じたい。それが俳優のしごとなのだろうと、いまはそうおもっている。

堺さんは常々優しいひとだと思っているけど、どうしてこのひとが優しいのかというと、「他人に優しくできるから」ではなくて「“他人に優しい”ひとたちがどんな思いでいるのかを知っているから」だと思う。とてもデリケートな題材だけど、腫れ物に触るような特別扱いをしない。周りに気を使って自分を押し殺してしまうひとたちのことを、わかるともわからないとも言わない。いつもと同じように客観的に調査して、いつものように演じることに対して揺らいでいる気持ちを隠さないで、自分の手の届く範囲で思いを巡らせ辿り着いた答えが、「うつ病患者はなんて優しいひとたちなんだろう」という結論であり、「俳優である僕に出来るのは、精一杯優しい男を演じること」だという。単なるうつ病の役柄、ではなく、このやせた優しい男を。


堺さんは、「生きづらさ」の裏側には「優しさ」があることを知っている。「優しい人」は「自我を抑えてしまう人」であることを知っている。いや、知っているというよりは、“年内はもう仕事納めじゃないですか”“来年は地味に過ごしたい”なんて言ってたあの12月から昨日のクランクアップまで、ずっとずっと全力傾けて考えて辿りついた答え。堺さんは博覧強記なひとだけど、なんでも知ってるわけじゃない。知らないから一生懸命自分の目と耳で確かめて知ろうとする。それが堺さんのいう誠実な思考。佐々部監督の評した「半端でないアプローチ」。堺さんが知ろうとしたのは、演じる役柄の人となりだけど、ひとりの人間を知るために深く沈考することが、結果的に人間の優しさの本質に思いをはせることになっている。


モンテーニュのエセーをいま読んでるんだけど(全然はかどってない…)、そのなかで「善」と「徳」について語ってるくだりがある。
「生来の心の広さによって、他人に侮辱されても気にしないで、称賛に値することをおこなった人は立派である。しかし、あるひとつの侮辱によって心から傷つき怒りを感じた人は、自らの狂おしい感情をおしふせるために理性の武器を持ち、はじめの人以上に多くのことをなしとげる。前者は善の行動と呼ばれるが、後者は徳に満ちた行動と呼ばれる」*1
他人の侮辱や言動を正面から受け止めてダメージを受ける人のほうが、自らの内側で葛藤するから徳の高い人になるだろう、ということ。堺さんを見てると、徳の高い人ってこういうひとなんだろうなあって思うんだけど、あのひとは絶対的な善を求めるのではなく、自分の中にも負の感情があることをわかっているから、他のひとの弱さやつらさに優しい目を向けられるんだと思う。


この文章を読んで救われるひとは多いだろう。堺さんがこの映画のことを「ふつうの話です」っていってた意味が今ならよくわかる。心が弱って、自己嫌悪を感じていたり自分の生き方にうしろめたさを感じているときに、こんなふうにさらりと言葉をかけられたら、どんなに気持ちが慰められることだろう。実際わたしも、最初読んだときリアルに涙で前が見えなくなったもの…。


 *

実は今回ほどダイアリ書きにくかったことはなかった。すごい感動したんだけど、どうして感動したかっていいたいなら堺さんの文章全文引用すれば伝わるしって思って。それともうひとつは、堺さんに対して今まで自分のなかになかった感情が揺り動かされたから。年を追うごとにバージョンアップしていく堺さんにわたしは全然追いつけてない感じがするし、自分のこれまでにない気持ちをうまくトレースできてない気がして。それでもどんなに上手く書けなくても書き残しておこうと思ったのは、堺さんだったら「いびつな表現でも自分の言葉であらわすことが大事」って考えると思うから。

あーほんとに堺さんが高校の先生で、わたしが15歳くらいのときに出会ってたらなあ。そしたらほんとに堺さんの教え子になれたのに(最後話が飛躍するのは仕様です)

*1:読みにくい文章だったのでわたしの解釈でかみくだいてます