スタニスラフスキイ

今年の年越しのテーマは“ふつうの休日みたいに過ごす”です。普段仕事をしている自分がいちばん切実に願うことってなんだろうって考えたら「会社行かないで本をひたすら読みたい」だったので、お正月だけど、“突然与えられた一週間の休日”と思い込んで過ごしてます。そうじゃないとお正月ののんびりした空気にのまれて時間を空費してしまいそうでこわくて。


俳優修業 第1部

俳優修業 第1部


本屋さんで手に取ってみたら、なんと活版印刷で、全460ページ。しかも1956年の訳。旧漢字もあって、本文組だけ見るとちょっとひよる。ところが「堺さんが心の支えにしている本をわたしも読んでみたい」というその一心で読みはじめたら、すごい感動した。最初から最後までどのページ読んでても含蓄に富んでて、たしかにこれはすごい名著だわ。なので今日は、堺さんとスタニスラフスキイ/スタニスラフスキイとわたし/わたしと堺さん、の三部構成でお届けしようと思います。言いたいことは「読んだほうがいいよ!」っていうのと「さかいさんだいすき!」っていうのしかないのですが。



【01】

スタニスラフスキイ。ようやくそらで書けるようになりました。演劇やってる人にとっては有名な人なのかな。でもわたしは堺さんが引用するのを聞いたことしかないので、堺さんが今も頼りにしてる本、っていう印象だった。その堺さんの言葉を引用しつつ、スタニスラフスキイの概要を代わりに説明してもらう。

スタニスラフスキイ著『俳優修行』*1は一部の役者たちにとってはバイブルですらある。演技についてかかれた本だが、演技クラスの様子が小説風にえがかれていて、よみものとしてもおもしろい。
この架空の演技クラスでの最初のレッスンは、なんと主人公コスチャが遅刻をして先生にしかられる場面からはじまる。(中略)世界的に有名な“スタニスラフスキイ・システム”が「遅刻するな」という、小学校のような教訓ではじまっているのはおもしろい。
――『文・堺雅人

ひと通り第1部を読めば、スタニスラフスキイの何たるかはわかる。『俳優修行』の一節をそのまんま『南極料理人』に使ってるところがありますよ。ものすごく当たり前のことを言ってるんです。「魔法の言葉IF」っていう章があって、つまり、「もしあなたが南極料理人だったらどうしますか」っていうところから話を始めていきましょう、っていうだけの話なんですけど。でも、その「IF」ってものすごく、広がりますよね。
――「堺雅人さんと、満腹ごはん。」ほぼ日刊イトイ新聞


気持ちわるいかもしれないけど、わたし、この本読みながら、若き日の堺くんのことを思いながらちょっと泣きそうになった。堺さんね、「俳優が俳優であるために必要なことは、決められた時間に決められた場所に行くことだけ」ってずっとずっと言ってるし、出演作のインタビューでいつも、しかも一番大事な場面について語るときほど「もし彼が…だったら」って想像するの。例えば、「山南さんが切腹するときに何を考えていたかって考えると、作法どおりにつつがなく切腹の儀式を終えようって考えたと思う」とか。堺さんがいくつのときにこの本を読んだのかわからないけど、今の堺雅人を見てると、その血肉となってるのがすごいわかる。この本に書いてあるのは“言葉”なのに、堺くんはかつてこれを一行一行注意深く咀嚼して飲み下したんだろうなあっていうのがすごく自然に想像できる。


堺さんがお芝居の話をするときにポジティブな意味でよく使うのが、「豊かな」っていう形容詞と「いきいきと」っていう副詞。堺さんは知性の人ではあるけれどどうしてこんなにおもしろい(インタレスティングだしファニー)のかっていうと、この、フィクションに“生命力”を吹き込む作業を特別大事にしているからなのかなあって思った。スタニスラフスキイはこの本の中で、いい演技のことをたびたび「役を生きている」「内部にリアルな感情がある」「能動的な意志に基づいている」という言葉で表している。その反対は「機械的/紋切型/わざとらしい/芝居じみた」演技。堺さんが演じる人物たちが観客の心を打つのは、その人が本当に生きていて、例えばどうしてこの仕事についたんだろう、こういう場面ではどこに注意を向けるだろう、相手役の人とはどういう心理的な距離があるだろうっていうところを限りなく埋めようとしているからなんじゃないかと思う。2000年の時点で、堺さんが「大体1公演1冊ペースでノートを書いてる」って言ってたのを思い出す。それ聞いたときは、そんなに書いてたの!って驚いたけど、自分の役柄に対して、まるで実在する人のようにその人となりのディテールをまざまざと想像しようとしたら、そのくらいにふくらむのかもしれない。


【2】

わたしは役者になりたい人間じゃないので、堺さんがこの本を通過していること以外には、この本に引力を感じなくてもいいのかもしれないけど、それでも読んでて本当におもしろかった。なんでかっていうと、これは演劇の話だけど、芸術一般に通用する理論がたくさん書かれているから。


絵画でも、音楽でも、わたしが仕事で作っているような商業広告でも、同じだと思う。「出来合いの外的形式をとっただけのものは排除すべきだ」「『芸術的な創造性』『知性・理知』『意志』の3つの原動力がなければならない」など。お仕着せでからっぽな演技なら要らない、内側に能動的な感情があれば、過度に装飾しなくても伝わるものだ、っていうことをスタニスラフスキイは繰り返し言っていて、それはどんな制作物にも当てはまるなあと思って、全部覚えておきたいって思った。スタニスラフスキイは、演技について形式的なメソッドを教授しようとしているのではなく、俳優たちがどうすれば自然にその役柄のリアルな感情を呼び起こすことができるかについて彼らの理解を誘導しているので、一度身につけた論理的な思考法は永遠に役立つし古びることがない。実際、原書は1936年に出版されたものだけど、2011年に読んでもそれこそ「いきいきと」していてまったく色褪せていない。(そう、「いきいきと」したものは時代を超えて通用するのだ)


たとえば何かを制作する立場の人なら、読むと心強くなれると思う。モノを作るときに行き詰まることって絶対あるけど、インスピレーションがひとりでに降りてくるのを待ってるのは本当につらい時間。そういうときに、

今日のレッスンで事実起ったことは、君は頼りにできる。肝心なことは、インスピレイションがやってきたのは、ひとりでにではなかったということである。それは、そのために道を準備することでもって、君が呼んだのだ。この結果のほうがずっと重要である。
――『俳優修業 第一部』

っていってくれたトルツォフ先生の言葉を覚えてると、悩む前に動けるから、ひとときたりとも淀まずにいることができる。想像力をふくらますために自問自答したり、とにかく身体を動かしてみたり、手元にある材料との交感を意識したり、その状況を打開するために為す術は両手に収まらないほどある。ただしトルツォフ先生は生徒の演技指導にたいてい否定から入るので、実際こんな人がいたら直接指導受けるのこわいけど 笑


【3】

俳優は、観客を前にして舞台の上へ現れると、怖れや、気おくれや、はにかみや、興奮や、圧倒的な責任感や、打勝ち難い困難から、落着きを失うことがあるものだ。
――『俳優修業 第一部』


堺さんが言ってた。大学で演劇を始めたばかりのころは、自意識でがちがちで、舞台の上でただ歩くことすらできなかったって。今では舞台上の話だけじゃないのかもしれない。これからもずっと役者として在るために、自己愛がふくらむのを制御したり、役者じゃなく普通の人として暮らすことを大事にしていたり(いや、たまに、そんなに自由にほっつき歩いてだいじょうぶなんですか!あなたひとりの身体じゃないんだから!って心配になるけど…もにょもにょ)。あのひとは本当に「生きること」と「役者であること」しか考えてない。そのために自己への執着をためらわずにざんざか捨てて、出演作が増えるたびにどんどん身軽になっていってる、その生き方がほんとかっこいいと思う。わたしは堺さんのそういうところに“理想の大人”を見てるんだ。だから、こうして堺さんの読んだ本や観た映画を辿りたいのも、堺さんの思考をトレースして、お話をしたいんだと思う。究極的にはね。(あくまで比喩なので、実際会いたいとかそういう意味ではなくですよ)


憧れている人が読んだものを読んだからといって、同じになれるわけではない。でも堺雅人堺雅人たらしめているベースみたいなものに触れられるのなら、可能な限り触れてみたいと思う。堺さんに関しては、それでがっかりしたことがない。むしろ、彼の舞台を何度も何度も観に行くよりも、一度の新しい読書によってわかることがたくさんある。だけど、自分と堺さんの最大の違いは、堺さんには「原点というか、どこにいても必ず戻ってくる“中心人物”」「“じぶんの年齢のとき何をしていただろう」って思うような人がいないということ。わたしがさかいさんさかいさんって、まるで大学の研究室に用もないのに遊びにくる学生みたいに懐いているかぎり、あのひとのようにはなれないことははっきりしてる。堺さんがこれまで、そういう“中心人物”を描かずにひとつひとつ自分で考えて試行してやってきたこと、それ自体が今の堺雅人を作っている最大の要因だって知ってるもの。


 *


こんなに長く書くつもりじゃなかったんだけどな。反省。だけど本当にこの本は珠玉の一冊。堺さんに感謝。次はモンテーニュ読もうと思ってますが、文庫で6冊だって。…ゴールデンウィークかな。


link:
2010-09-12 ぼく!ぼくすい!…『ぼく、牧水!』を旅先で読んだときの記録
2010-08-30 日々是勉強の役者生活…2000年6月演劇ぶっくより

*1:原文ママ。正しい書名は『俳優修業』