スパニッシュ・アパートメント

「人は混乱のなかから何かを得る」―モーロワ



初め、タイトルからスペインの映画かと思った。そしたら『猫が行方不明』の監督で、オドレイ・トトゥが出てるというので、「フランスの映画かあ」と思ったら、実際は「フランス人の男の子がスペインに留学して一年間共同生活をして戻ってくる話」だった。原題は『オーベルジュ エスパニョール(L'Auberge espagnole)』。フランス語のスラングで「スペインの宿屋=ごちゃまぜ」という意味らしい。


共同生活に対する憧れはずっとあって、こういうの見ると心から羨ましい。バックグラウンドの違う人たちが集まれば必ずうまくいかないことが出てくるけど、そのときにちゃんと主張してけんかして、それで納得できなくてもお互い受け入れて明日も一緒に暮らしていける関係って、ほんといいなあって思う。グザヴィエくんが「こういう言い争いに憧れていた」っていうの、すごいわかる。わたしは自分が共同生活苦手なの自覚してて、家族とも恋人とも一緒に住めないだろうなあって思ってるんだけど、たぶんこんな風に自分をさらけだしたりできないからだなって思った。


この映画のテーマって、「混沌としてて不完全な環境のなかから得られるもののおもしろさ」なのかな。散らかった彼らのアパートはその象徴。うまくいかない人間関係、予期しない事件、人生はそういうハプニングで満ちているけれど、自分の確固としたルールで将来を構築して、それに見合わないものを排除していくより、思い通りにいかないことを受け入れて愛せるほうが、結果的に豊かな人生になるのかなあと。だから、グザヴィエくんは最後にオフィスを飛び出したんじゃないかと。


世の中に本当に完全なものって少ない。だからわたしは完全でシンプルで一分の隙もない世界が好きだ。数学みたいに。だけど自分は数学者みたいは生きられない。雑念だらけだし、浮気性だし、集中力ないし。でもそうやって不完全なものを克服して何者かになろうとするよりも、今ここにあるものに向き合ってその都度考えて答えを出すほうが、不安定だけどおもしろいのかなって最近うすうす感じてる。数学者になれるかどうかの資質の話じゃなくて、ふだんの日常で何を大事に思って生きるかの話ね。


11月のことだけど東京オレンジの舞台を観に行って、脚本のないインプロ(即興)が本番ってスリリングだなーって思ってたんだけど、考えたら人生だって全部がインプロで全部が本番なので、同じことなのかもしれない。脚本もないしやり直しもきかないし、毎日即興。そう思えば、即興の入門書にあるという「まわりの俳優を天才詩人のように扱え」っていうような格言は、ふつうに生きているときでも役に立ってくれるんじゃないかって気がする。




話はそれたけど、いちばん好きなシーンはというと、レズビアンのイザベルがグザヴィエくんに「男って女のこと何もわかっていないのね」っていいながら女の子の愛撫の仕方を教えたあと、グザヴィエくんが年上のお姉さんに実践したら、「だめよ、私には夫がいるのよ」っていいながらまんまと落ちたところ。すごい笑った。そうそう女なんてあんな感じでかんたんだよって。


あと、この映画観るのにフランス語とスペイン語と英語がわかるとちょっとおもしろいかも。わたしはスペイン語わからないけど、たとえば英国人がフランス人のこと「カエル」ってほんとに呼ぶの初めて聞いたし、フランス語では大学のことfacって言うんだけど、英国人の子が「ファックから帰ってきたらママに電話するように彼に伝えて」って伝言を受けて「??」ってなってるのとかおもしろかった。


この映画、観光名所で撮影しててもその名称が台詞に一切出てこないのもいい。出てくる固有名詞は、小さな通りの名前ばかり。グザヴィエくんが彼女と別れたあとに行ったのはモンマルトルだと思うんだけど、サクレ・クールも映らないし、もちろん台詞でも言わない。そういえばオドレイ・トトゥは18区に縁があるねえ。

 
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ていうか、あれだな。この映画のこと書くんだったら、蛮幽鬼とか武士の家計簿とか、もっと書くことがある気がする…。なんか最近、他人と共有できないことはこっちに書く、みたいになってきてるけど、ちゃんと書き留めておかないとどんどん流れて行く一方だよ。