フェルマーの最終定理


フェルマーの最終定理』読了。良い本だった。最後読み終わるの心から惜しく思ったくらい。


フェルマーの最終定理 (新潮文庫)

フェルマーの最終定理 (新潮文庫)


フェルマーの最終定理ってなんだ、っていうレベルから読みはじめたけど、これはすごい。まず特筆すべきはそのシンプルさ。

 xn + yn = zn
この方程式は、n>2の場合には整数解を持たない。


ね、簡単でしょう?x2 + y2 = z2というのが有名なピタゴラスの定理(たとえば3:4:5の三角形なら直角三角形ですよっていう)、それがx3 + y3 = z3になるといきなり成立しなくなる。このことについて「この定理に関して、私は真に驚くべき証明を見つけたが、この余白はそれを書くには狭すぎる」っていったのが、17世紀フランスの数学者、フェルマー。それから360年後にイギリス人のアンドリュー・ワイルズがその証明を完成させるまでの壮大なストーリーを一冊にまとめたのがこの本。


先にポアンカレ予想のことを知っていたから読みやすかったのもあるかもしれない。ポアンカレ予想が解かれたのが2006年、フェルマー予想が解かれたのが1995年。生まれた年代には250年も差があるのに、解決した時期が10年くらいしか違わないのは、どちらも20世紀現代数学のいくつもの領域をまたにかけて完成させたから。ちなみにポアンカレも「モジュラー形式」という概念を案出して、フェルマー予想の解決に寄与してる。でもポアンカレ予想フェルマー予想はだいぶ印象がちがう。ポアンカレ予想のほうが複雑でロマンティックでぐにゃぐにゃやわらかく浮遊してる感じ。フェルマー予想は、簡潔でそのぶん強固で感情を一切排した感じ。たとえていうなら、ポアンカレ予想シャガールだったら、フェルマー予想エッシャーみたいな。


フェルマーは実は数学者じゃなくて、地方の裁判官だったらしい。その合間をぬって趣味で数学をやってたらしく、だから自分の発見した証明を世の中に知らしめることよりも、「僕は解けたよ。君たちには解けるかな?」って他の数学者を挑発するのが楽しみだったとか。だからフェルマーの証明はいつも何かの本の余白に書き込んであるか、もしくは彼の頭の中にしかなかった。幸か不幸か、いや、数学界に価値ある問いを残したという意味で幸いなる偶然といえるかもしれないけど、フェルマー予想の証明は後者の「彼の頭の中」にしかなくて、それから3世紀にわたって数学者たちを悩ましつづけてきたのだった。


あとがきでも引用されているけれど、ニュートンが「私が他の人たちよりも多少とも遠くを見ることができたとしたら、それは巨人の肩の上に乗っているから」と述べたように、ワイルズが完成させた証明は、最後の最後の一歩だった。それまでにオイラーヒルベルトゲーデルといった名だたる大数学者から、ソフィ・ジェルマンのような女性数学者や、谷山、志村といった日本人数学者など、性別や言語を超えていろんな人が挑戦してきた。わたしが数学を好きなのはこういうところにもあるのかもしれない。本人のスペックとか研究環境に左右されず、紙と鉛筆と頭脳さえあれば戦えるところ。ソフィ・ジェルマンは、女性だというと門前払いされてしまうからギリギリまで男性の偽名で講義に出ていたけれど、提出した課題の明晰さが群を抜いていたために教師に呼びだされてしまったとか。ガロアみたいに非凡な才能を持ちながらも、政治的な理由で学問の邪魔をされたり恋愛の決闘沙汰に巻き込まれたりして、20歳で亡くなってしまった人もいるし。(しかしガロアの人生はどの本を読んでもすごいドラマティック。20歳の男の子が、決闘前夜「もう時間がない」っていってガロア理論の集大成を一晩で書き上げるんだよ。作り話みたいな本当の話)


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わたしは数学が好きっていうよりかは、人文学的な興味から数学の本を読むのが好きなんだと思う。高校時代まで数学すごい苦手で、センター試験終わった日に数学の教科書全部捨てたくらいだもの。でもここ5年くらい断続的に数学関連の本読んできて、どうしてこんなにおもしろい世界のことを誰も教えてくれなかったんだろうって思う。文系・理系の区別とは別に、ジェネラリスト向きかスペシャリスト向きかってあると思うんだ。ジェネラリスト向きの人がいちばん苦手なのは、個々の作業のやり方がわからないことじゃなくて、その作業が何を意味してるのかがわからないこと。学生時代、数学を勉強する意味とかそういう根本的な疑問に答えてくれる先生がいなかったために、数学が嫌になった人ってけっこう多いと思う。虚数ってなんだよ、あるのかないのかどっちだよ、みたいな。だからわたし思うんだけど、中高の数学の授業のなかで数学史を教えるべきだと思うの。音楽だったら音楽史を、国語だったら文学史を教えられるのに、数学史はふつうに生きてたら一生学ぶ機会がないんだもの。学問全体において数学がどのような意味をもつのか、数学史全体においてその定理がどのような意味を持つのか、それを知ったら数学の楽しみ方が全然変わると思うんだけどな。


でも今のところ、数学者じゃないけど数学愛好家っていう人の居場所は確立されていないので、ずっと孤立無援な感じです。実際自力で計算式書けないなら理解できないよ、って言われてるような世界だから。でもじゃあ絵が描けないと美術館行ったらだめなのか、っていう話ですよ。それわたしだけど。だけどやっぱり避けては通れないところがたくさんあるから、誰か近くに教えてくれるひとがいたらなあっていつも思ってる。フェルマーの最終定理も、この本ではなるべく数式を使わないようにして書いてくれてたけど、途中モジュラー形式と楕円方程式のところで迷子になったもの。


さて、フェルマー予想ポアンカレ予想四色問題も(一応)解決した現在、次に来るのはリーマン予想が有力なのかな。一生の間に一度くらい、こういう数学上の大問題が解決する瞬間に立ち会いたい(立ち会うっていっても一年がかり、とかだけど)。あ、フェルマーの定理もフェルマー本人はワイルズとは違う解き方をしたはずだから、それを追いかけてる数学者もいるらしいね。それはおもしろそう。あと非常に興味があるのは、「素数の現れ方にパターンはあるのか?」っていう問題。これもリーマン予想と関係があるんだっけ。ああ、もうちょっと勉強してこよう。