こないだ法事で関西に帰ったとき、姉が奨学金を全部自力で返し終わったというので、母が感心してた。姉は私立の大学2校行ってて、6年分の学費と生活費をほとんど奨学金でまかなってたから、詳しくは知らないけどすごい額になってたんじゃないかと思う。


そのこともあってか父から、おまえの奨学金を少しこちらで負担してもいい、みたいな電話がきた。甲斐性のない末娘を心配してるんだろうなーと思いながらもそれは丁重に断ったんだけど、電話切ってから、あーこの父は愛情のかけかたがわからないんだろうな、と思って泣いた。


お金のことでいうなら、それをどうしてわたしが大学院に行きたいといったときにいってくれなかったのかと。いまの経済的負担が少し軽くなることと、22歳のときに学問の世界に居続けられることとは、わたしの人生にとっての切実さが全然、ぜんっぜん違う。でも父にはわからないんだろう。うちは両親高卒だし、父は戦前生まれの人だから。女の子を大学までやったという達成感で充分満足だったんだと思う。もうそれは、価値観がちがうからしかたないのだけれど。だけどそれにしても、父と最後に会話らしい会話をしたのがその大学卒業時だったと思うから、数年ぶりに中身のある話をしたと思えばそんな見当違いの申し出…と思って本当に絶望した。実家も豊かじゃないのわかっててそんなの受け入れられるかと。


もうこの歳になると自分の生まれた環境を嘆いたりしないけれど、いま大人のわたしが子どものわたしのことを思うと、人間にとって子ども時代に両親に無償の愛を注がれてた記憶って自己受容のために必要なものなんだろうなあと思う。自分を肯定してくれる存在。一緒の気持ちで悩んでくれて、何かあったときに無条件で甘えられる存在。


だけどおかげでわたしは無謀さを手に入れた気もしてる。守るべきものもない、守ってくれるひともいない、って思っていれば、なんでもできる気がする。確か東京に来たのが5年前の9月のこと。少し長居しすぎているかもしれない。



(追記:ちょっと削りました。難しいね、自分のこと書くのって)