おしゃべりしててたのしいひと


今日でJOKER7話。全10回だとしてあと4話か…。はじまりがあればおわりがあるのよね、とむりやり諦観したくなる程度にはどっぷり肩までつかってます。


だけどやっぱ連ドラ主役ってすごいのね。露出数もそうだし、僕らの音楽とか、ビストロとか、そんな特別待遇受けていいの…?っていうような扱い。ありがたいことです。しかもバラエティ出たあとにサカイマサトbotのフォローが急伸長するのね。あのひとの不思議さがお茶の間で受け入れられてる!ってびっくりする気持ちと、でしょでしょあのひとおもしろいでしょって誇らしく思う気持ちとが交錯する。


わたしは堺さんの仕事の中で文筆業がいちばんすきだと思ってたけど、おしゃべりしてるのを聞くのはもっとすきかも。あんなに書き言葉と話し言葉が乖離してないひともめずらしい。きっと自分の中で温めてた考えを語ることと、その場で当意即妙な反応をすることのバランスが絶妙なんだ。「ここにあなたとわたしがいるんだから、あなたとわたしにしかできない話をしようよ」っていう、これ、堺さんの言葉なんだけど、そういうことだなあと。緊張したり、相手の反応におののいたり、一所懸命自分の言葉をつたえたり、それがつたわらなかったり、そういうのをおそれない。でも最近思うんだけど、あのひと「文・堺雅人」を書く前はどうしてたんだろう。ずっと人に公開しないままで書き溜めたものがあったのかなあ。どこかで「言葉に軸をおいた役作りはずっとしていた」っていってたような。それちょう見たいんだけど。未完成な堺青年の言葉を読みたい。


昨日のビストロ始まる前に、堺さんのことを考えてたの。昨日ちょっと自己嫌悪に陥るようなことがあったせいで、日経マガジンのインタビュー読んでじんわり目頭が熱くなったりして、あーこのひとの言葉が魅力的なのは、ただ「生きる」ということと「演じる」ということ、それ以外のものを削ぎ落としてるからシンプルでうつくしいんだなあとかぐるぐる考えてた。でもビストロで堺さんらしさが炸裂してるのを見てけらけら笑って、そういうセンチメンタルな感傷とかなんかいっきにどうでもよくなった。いや、両方あるからおもしろいんだけどさ。もしいま目の前で山南さんと伊達さんと堺さんがおぼれてたら、わたしはまよわず堺さんを助けると思う*1。山南さんは生きてても死んでてもその永遠性は変わらない。伊達さんはよわっちいからちょっとまよう。だけどそういう理由がなくても反射的に堺さんを救いそうな気がする。そのくらいあのひとが大事。っていうか、あのひとの存在は日本の文化遺産(世界とかはいわない)。そろそろ紫綬褒章とかもらったらいいんじゃないだろうか。


あービストロの「付き合ってる女の子とけんかした記憶が過去2回くらいしかない」の話とか、ハートにSの話とか書こうとしたけど書けなかった。わたしはどうしてこう、ぼんやりした形容詞でしか表現できないんだろうなー。




しかし堺雅人ダイジェストすんのに6年前のあのシーンを出すのはまじでやめてくれ。心臓にわるい。

*1:オリジナルは友達のおにぃネタ。お借りしました