日本の就職事情


あまり社会問題について語れるような言葉は持ち合わせていないので、深くは追究しないけど。いま27のわたしが、大学3-4年のころの自分にこの人たちの考え方を聞かせてあげられたら、大学卒業後の数年がもっと明るいものになってたかなあと思ったので。

茂木健一郎 @kenichiromogi さんの日本の就職連続ツイートとその反響


・大学3年の夏から、実質上就職活動が始まる日本の慣習は、明らかに異常である。学問が面白くなって、これからいよいよ本格的にやろうという時に、なぜ邪魔をするのか。
・なぜ、卒業した後、世界各地でボランティア活動をしたり、プログラミングの自習をしたりといった「ギャップ・イヤー」を経験した人材を採らないのか。なぜ、「履歴書に穴がある」などというくだらないことを問題にするのか。
・新卒一括採用で、他社に遅れると優秀な人材が確保できないと思っている人事担当のみなさん。それは、おそらく幻想です。本当に優秀な人材は、そんな決まり切ったレール以外のところにいます。

日本の人事システムについて(内田樹の研究室)


・それ以上に深刻なのは、わずか20歳で「自分は査定される側にあり、この査定を通過しなければ、社会人として認知されない」という「不安」が彼女たちの感情の通奏低音になってしまっていることである。
・問題は「きわだって優秀なわけではないが、育てようによっては、かなりいいところまで行きそうな潜在能力をもった人たち」(若者たちのボリュームゾーンを形成する部分)を日本社会が構造的に「潰している」という事実の方である。
・正直言って、私は日本人がiPadを発明しなくても、YouTubeを発明しなくても、別に構わないし、それをとくに恥じる必要もないと思っている。それより、ふつうの人たちが等身大の自尊感情を持って暮らせる社会を確保することの方が先決ではないかと思うのである。

茂木さんの考え方は、「新卒一括採用で優秀な人材を獲得できるという考え方はまちがっている。優秀な人材はそんなところにはいない」というもので、日本の企業、ひいては日本経済がもっと良くなるための提言。内田さんのはそれと対立するものではなく、「本当に優秀な人材はそれぞれ才能を開花させて成功するので大丈夫。それよりも、潜在能力を持った若者たちが就職活動によって潰されていっていることが問題」という考え方で、個々の職業人の幸せ→みんなが等身大の自尊感情を持って暮らせる社会の形成、という未来を見ている。


わたしの履歴書は、新卒から半年間空欄になっている。「ギャップ・イヤー」っていえるような大したものではない。でも、大学時代にどうして就職活動をしなければいけないのか納得できなかったし、3-4年は本当に勉強がおもしろかったから、できれば大学院に行って学業を続けたかった。その頃のわたしはどちらに対しても楽観視してたから、お金の問題で大学院に行けないのなんてどうにかなると思ってたけど、半年かけて結局就職する諦めがついたのがそのブランク。その上、新卒で就職しなかったことが今になってもずっと響いてて、「あのとき疑問を持たずに素直に就活してればもっと楽に生きられたのかなあ」ってこれまで何度もしょっちゅう後悔してきた。学歴っていうのは新卒で最初に名のある企業に入るところまでがセットなんだなあって。


でも上記の2人の主張は、どちらも「就職活動という日本の人事システムに君たちは疑問を持っていいんだ」って言われているようで、すごい泣きそうになった。っていうか今書きながら涙出てきた。どうして就職活動しなきゃいけないの、って思ってても、じゃあそれ以外の方法で社会に自分を売り込むことができるかって言われたらそんなたくましい精神は持っていなくて。そういう根本的な疑問について考えてもいいんだよって教えてくれたのが大学っていう利害のからまない場所・時間だったのに、それを考えている間に人生最大の自己プレゼン(現在のシステムでは)の機会は失われる。


卒業して5年経つけど、わたしはずっと「自分が悪かったんだ、あのとき我慢してればよかった」って思ってた。でもそうじゃないよ、新卒一括採用って普遍的な仕組みじゃないよ、やっぱりおかしいよね、って言われてすごい救われた気がする。


だからって今すぐ世の中の人事担当者の考え方が変わるわけじゃないし、わたしはわたしでその半年間のブランクの責任も背負いつつ、今できる範囲のことしかできないけれど。