ミクロコスモス


だんだん、言葉を紡ぐのが嫌いになってきた気がする。
ここでもそうだし、仕事上で資料作るときでも、誰かと話すときでも。
昔は読んでくれる/聞いてくれる人がいなかったから楽しかったんだろうな。
何かに役立つとか、誰かに伝えるというゴールをめがけてると、
「ぜんぜん役に立たなかった。うまく伝えられなかった」という後悔から逃れられない。
(特にわたしには話す技術が足りないから。人と会話するのが仕事なのに)


物体としてのモノをつくるほうが今は楽しいな。
できあがりは人にあげちゃったりするから手元に残らないけど、工作してる時間が楽しい。
だいたいが必要とされていないものをつくるから、のびのびできるんだろうね。
人によると思うけど、わたしは期待されていないときのほうが気持ちが安定する。
そして後からたまたま喜んでもらえたりすると非常にうれしい。わがままですね。


あと半月で、今の会社に入って3年になる。
せめて3年はいるって思ってがんばってたわりに、あっけなく来てしまった。
(まあ最後の1年は、会社のデスクにいながらも心はあいばに捧げてたわけだが)
なんにも成果残してないけど、自分のこととかビジネスのこととかいろいろ学ばせてもらった。
わたしは広告の世界が好きだけど懐疑的だし、納得できない業界の常識がたくさんある。でもそんなにこだわりはない。
でもそのくらいの情熱で仕事をするのがちょうどいいんじゃないかな。
もし今ファインアートにかかわる仕事にしたら、
自分の美意識を優先することができない場面に出くわしたとき、我慢できなくて辛いと思う。


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いつもいつも、「ここじゃないどこか」を思って生きてきた。
自分の立つ平面をいっぱいに広げれば、世界地図になる。
自分のいる空間をどこまでも拡張すれば、宇宙になる。
自分の過ごす時間を長く長く伸ばせば、歴史と未来予測になる。
自分が超えられない次元の壁は、幾何学が超えてくれる。
でっかいことはすばらしい。責任を持たなくていいからおもしろい。


遠くて大きいものに視線を向けるごとに気持ちは内向的になるという、よくあるパラドクス。