潮汐運動


会社の先輩にずっと前に買ってもらった本。

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法

仮説思考 BCG流 問題発見・解決の発想法


前に読んだときは、途中でなんとなく読むのやめてしまったのだった(ごめんなさい先輩)。読みやすくて良い本とは思ったんだけど、テーマに興味が持てなかったようで。それが、ハゲタカ観たあとにこれ読むと、すっごいおもしろくて大興奮!ボストンコンサルティンググループのオフィスの光景がちょうリアルに見えるの。鷲津はファンドマネージャーだけど、でもあの人のやり方はターンアラウンド(企業再生戦略)とほとんど同じだから。鷲津やさしいよ鷲津。しかしほんっとミーハーな自分。でも休日にビジネス本読むなんてわたしには有り得ないこと。


まだ読んでる途中だけど、この本自体が「仮説思考」で書かれているのがよく判る。スケジュールも予算も充分にゆとりがあって、全ての判断材料が一度に出揃って、あらゆる選択肢のなかからベストな方法をとれるような贅沢な状況なんてまずない。それは仕事でも人生でも、たぶん本の執筆でも。それはもう仕方ないこと。そういう前提をまず承知して、あとはその範囲でベターな道を最短で選ぶ方法を考えるのが得策だ。100点を取ろうとしてじっくり慎重に解いてるうちに時間切れになったらそれは0点とみなされる。内田氏が言っているのはそういうこと。「もっと他にいい答えがあるかも」と考えてしまうのが停滞の始まり。仕事上で停滞はリスクだしコストだからね。(って自分に言い聞かせてる)


コンピュータの限界の話。またすごいリンクなんだけど、カオス理論について津田先生から初めて聞かせてもらったとき、まさにその話をされていた。今のコンピュータというのは、全ての選択肢を網羅的に端っこから当たっていく。あ、森博嗣の小説でも、萌絵の思考はこの網羅的検索法だって犀川が言ってたな。けれど、人間の思考というのはふつう(だから犀川はふつうの人なんだ)、ぐちゃぐちゃした不定形な情報群のなかから最適な解を見つけようとする。将棋の名人のように。そのほうが、全部のデータを整形して順番に検討していくより、早い。という話だった。なぜなら、情報の重要度はグラデーションになっていて、重要度が低いデータは最初から捨てればいいから。
その代わり、内田氏がいうように、答えが間違っていることもある。でも「間違っている可能性がある」ことを想定して進めていれば、後から証明できなくなった段階で少し戻って修正する余裕を事前に見積もっておける。そのロスを含めても、網羅的に計算していくよりもまだ早い。そして、この修正の経験を積み重ねれば、だんだんと解の精度が上がっていく。この発想の転換人工知能のプログラミングにおいても画期的な事件だったはず。


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さくらいキャスターの裸体表紙は躊躇なく買うのに、「モテる人の秘密。」とかいうコピーがあると絶対に手に取れない。それはわたしの仇敵、アンアン。何が嫌かって、精神論を語られるのが嫌。そう、嫌なんだけど、ちょうど今考えてたんだよ。どうしたらモテるんだろうって。いや大勢にモテなくていいんだ。ひとりの人がわたしを好きになればそれでいいんだ。けど、例えば道を歩いていると、世の中には可愛い女の子がこんなにたくさんいて、そのなかでわたしが選ばれるにはどうしたらいいんだろう…って考えると、もうなんか絶望するよね。まあこれも、言ってみれば、人は全人類をひとりずつつぶさに検討して恋人を選ぶなんてことはなくて、自分の周囲にいる限られた人の中から選ぶんだから、無用な憂慮といえばそうなんだけれど。うん、これは確率論でありつつ潮汐運動でもあるからね。こちらが動けばあちらが動く。生命体同士ってそういうもんだ。男と女でも、企業と企業でも。さあ、あと2週間を切った。