カオス的Web観


往復書簡みたいになってきましたが。あるいは公開お悩み相談。いや悩んではいないんだけど。あまのじゃくだから、自分がマジョリティに属してることついての不安とか疑問が定期的にやってくるんだと思う。


「みんなに充分すぎるほど語られているものを、自分が語る必要があるのか」というわたしの疑問に対する友人の答えは、大意としては、「“あなたが”書くことに意味がある」ということだった。そうか…それは思いつかなかった。そして「あなたがどういう過程を経てものごとを感じているかを辿るのはおもしろいと思う」、と(自分用に咀嚼させてもらっています。逐語ではなく)。なるほど。そういや、数学のテストでわたしはよく途中式すっとばして注意されたものだった。答えがあっていても、他人が見てわかるように過程を明らかにしなければ解いたことにはならない、って。自分がせっかちだと思ったことはないけれど(たぶん他の人からもそうは見られていない)、結局とのところどうなのか、っていう答えがすぐに知りたくなってしまうんだ。ひとつ前のエントリで、ビリヤードの玉の問題を解く過程を記録した記事が一番読まれている、っていうことを書いたばかりなのにね。


彼女は思考が固まる前の生の感情を言葉にするのがとても上手だ。きっちりかたちになる前に書き言葉で残せるのって、すごく現代的で複雑な能力だと思う。脳がWeb的なカオス*1に慣れているというか。これがもし一緒に同じ場所にいれば、テンションが上がったらそれこそ勢いで走り出したりジェットコースター乗ったり 笑、身体で表すことができるけれど、いま生まれたての感情をネットワークの向こうの人たちに言葉だけで表すのって、わーって高揚した心とある程度冷静な頭とが両方ないとできないんじゃないかと。でも、言葉になってなくても「なんかこう、ふわふわっとした気持ちでさ」とかって言えることが大事だし、わたしも友人がそんなふうに表現してるのをおもしろいと思うし、それを言えるのがWebの特長なのかなぁと思う。


つまり何が言いたいかというと!ともだちっていいな!と!
わたしは彼女のことを知らなく“ても”彼女の文章が好きだったけど、彼女はわたしのことを知っている“から”わたしの文章を読みたい、という。どっちも幸せなことだよね。

*1:津田一郎氏、それからポアンカレの指した“カオス”。ポアンカレはカオスを「超越的な知識」とか「情報の集合体」と予見しています。ってここで書いておけばそのうちちゃんと読みなおすと思うから書いとく