混雑


昨日の続きをちょっと。「わたしが書かなくてもいいんじゃないか」は本心とは少しちがうかもしれない。「わたしが書くべきことはまだ残ってるのだろうか」のほうが近いかも。なんというか、もう飽和状態なのではないかと。あらし周辺は。そういう自分は、乗ろうとした電車が満員だったらすぐ諦めてホームに残るタイプの人間です。それで周りの人が自分を追い越して電車に乗るのを見て、あ、まだ乗れたんだ、って知る感じ。


こっちのブログで一番検索に引っかかってくるの、これはずっと変わらないんだけど実は「5つのビリヤードの玉 21」なの。何のことやらって思われるかと思うけど、これ、森博嗣の『笑わない数学者』の中で出てきた問題なのです。「5つのビリヤードの玉を、真珠のネックレスのようにリングにつなげてみるとする。玉にはそれぞれナンバが書かれている。この5つの玉のうち、幾つ取っても良いが、隣どうし連続したものしか取れない。この条件で取った玉のナンバを足し合わせて、1から21までのすべての数ができるようにしたい。さて、どのナンバの玉をどのように並べてネックレスを作ればいいだろうか?」っていう*1。わたしはある時期、この問題について考えたことがあって、友人の助けも借りつつ手探りで解法を見つける過程をこのとき記録してたのでした。それがいまだにずっと読まれている。思うんだけどさ、もし、そこにニーズがあって、なおかつわたしみたいに数学初心者の人間が書くことに意味があるのなら、わたしはそちらを追求すべきなんじゃないかと思うのです。同じように好きなものについて語っていても、一方が探し求められ、一方は消費されていくばかりだとしたら。


一部の人に重宝されるものと、大衆に消費されていくもの。専門書と新書の違いみたいなものかな。流通の仕方がそもそも違う。だけどわたしは新書しか出版されない世の中になったら嫌だなあと思う。まあこんなに細々やってる限り、自分の文章の有用性とか考えなくてもいいんだけれど。でも自分のためにもね。わざわざ年末の日曜日に渋谷に行って自ら人混みに身をさらすことはない。それと同じ。