相手に期待するということ


スイートリトルライズ観てから、大森南朋にはまりそうだ。が、今年のわたしは一味ちがう。もうこれ以上好きなものを増やせるキャパシティはないので、あと『ヴァイブレータ』を見たらそこでとどまることにする。意識的に。そうじゃないと身が持たない。去年でいうと、きみぺからまつもっさんの出演作コンプリートしようとしたあたりで止まっておきたい。そのあと黄色い涙観たころにはおそらくもう床上浸水してたのだろう、というのが2010年現在の見解。そして某所Aの嵐アーカイブスで骨の髄まで侵食された。


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今日「そんながんばれとか言わないでほしいけど、でも全然気にされないよりはましなのかも」って友達が言ってたので、ちょっと考えちゃった。以下少し自分語りしますが暇な方はどうぞ。


ごくごく平凡な環境で育ったわたしが、唯一特異だったこと。わたしは小さい頃から「勉強しなさい」って一度も言われたことがない。ただの一度も。両親ともに教育には関心がなくて、わたしがいい成績持って帰ってきてもそんなに興味はないようだった。母が茶道をやっていた人なのでそういう習い事みたいなのはさせてもらったけど、塾に行きたいって言っても行かせてくれなかった。まあ貧しかったのでしょう。予備校すら初めて行ったの、高3の冬季講習だったもの。それはさすがに無理を通した。北海道行かなきゃいけなかったからさ。


そんな両親なので、うちの実家にはほとんど書物がない。音楽も聴かない。スポーツもしない。とてもとても静かな家です。わるく言えば、活気がない。そういう家庭で親から期待とか義務感みたいなものを全く背負わされずに育つとどうなるかというと、これが不思議と自分から勉強するようになるのですね。中学のころは学校が好きじゃなくて先生とすごいバトルしてたから、言いたいこと言うにはそれなりの成績収めてないと見下されると思って、すごい勉強してた。そんな感じでわたしにとって「勉強をがんばる」というのは完全に自分のためだったので、大学に入って学問のおもしろさに目覚めてからは、授業に出ないで興味のあることは勝手に調べたり研究室の先輩に聞きに行ったりしてた。そして今に至ります。


今の会社では非常に自由にさせてもらっているけど、立場上、人を動かさなければいけないので、「(能力的にあるいはスケジュール的に)できますか?」って訊くのが仕事みたいなところがある。わたしは社内で一番年下だから「がんばって」とはさすがに言わないけど、言われることもほとんどない。クライアントに「がんばります」って言うことはあるけど、それってほんとにがんばるつもりでいるときだし、実際自分のために言ってる気がする。


まあそういう感じで、わたしは「がんばる」ということに対他人では葛藤がないので、友達とかに気軽に「がんばれー」って言ってしまう。それは、自分が相手の立場になったときに「がんばった結果」と「がんばらなかった結果」を比べてどっちがいいかと考えると、「がんばった結果」のほうが自分で気持ちがいいんじゃないかと思うので、相手にもそちら側を選んでほしいと思うから。期待をかけてそれが裏切られたときのこととか全く考えてない。一昨日の"賭けの論議"と同じ理屈で、友達に「がんばってほしい」って期待はするけど、それがだめだったときにも別にがっかりしたりはしないから、それならがんばってくれるほうに期待したほうがいい、ということ。


わたしは「無理しないで」はよくいうけど、「がんばらなくていいよ」はあんまり言わない。人って基本的に怠け者だから、がんばらない自分をあまり見られたくないんじゃないかなぁ。―ええと、表現が難しいけど、「がんばれ」って声をかけてくれる関係の人ならきっとフラットな状態の自分を認めてくれてると信用することが大事で、がんばれなくてその結果だめだったとしても、がっかりするのはその結果に対してであって、人間に対してではない、とわたしは思ってる。だから最初の「気にされないよりはましなのかも」についてわたしが思うのは、別に気にされなくてもいいと思うけど、そういってくれる人の心境としては、あなたががんばった結果を純粋に楽しみにしてるんだと思う。“他意はない”というやつです。


でも言葉にして相手に投げかけるのはまた別だからね。よく「がんばってる人に『がんばって』っていうと余計追い詰めてしまうからよくない」っていうけど、もちろんそのくらいがんばってる人もいるだろう。だから相手を見て言うしかないよね。


その意味で、わたしはあいばに「がんばれー」って気軽に言える。あのひとはそれに対して「がんばる!」って答えられるひとで、実際一生懸命に動ける自分が好きなんだと思うから。言われなくてもがんばってるのは知ってる。でも、プレッシャーをはねのけるほど強靭でもなく、押し潰されそうになるほど弱くもなく、無意識のうちに受身をとって無効化してしまうところがとにかくすごいなぁって尊敬する。それは元々身体が強くなかったことが理由の根底にある気がしてるけど、それはまた、別のお話。





あー結局最後あいば語りになっちゃったよ。ねぇなんで?