マノン・レスコー


マノン・レスコー (新潮文庫)

マノン・レスコー (新潮文庫)

趣味と実益を兼ねて。趣味=フランス文学の勉強、実益=マノン・レスコーからいろいろ学ぼうかと。逆ではないです。


でもちょうおもしろいな!実はわたしフランスの小説がけっこう苦手で、これまでボリス・ヴィアンの『日々の泡』とかジョルジュ・サンドの『愛の妖精』とか正統な小説はほとんど途中で挫折した。おもしろく読めたのといえば『星の王子さま』みたいな童話か、サドとかバタイユとかのエロスな短編。つまり頭が単純で子どもなんですね。でもこれはおもしろい。18世紀の恋愛小説の古典だけれども、琴線に触れるというよりは、話の展開があまりにも衝撃的なので笑ってるあいだにどんどん読まされる感じ。うん、これは喜劇です。主人公のグリュウ君がほんっと健気で馬鹿なんだもの。でも他人事と思えなくて、ときどきグリュウ君の澱みのない恋心にはっとさせられる。時代も国も超えた普遍的な人間性を描くというのがこういうことか、って感動する。


ファム・ファタル(femme fatale)、日本語でいうと「運命の/死に至らせる 女性」という意味ですね。ファム・ファタルというとサロメみたいな妖婦がイメージされますが、言葉自体に「悪女」という意味はない。実際、この物語のマノンちゃんは可憐で自由奔放な現代っ子。そして無意識のうちに男性を翻弄してしまうんだ。こういう女の子はときどきいる。その翻弄されたグリュウ君、器量もよくて家柄も申し分なく将来有望で、わたしの頭の中では福士誠治くんみたいな好青年です。彼女と偶然出会わなければ汚点ひとつない平和な人生を歩めたはずの彼は、いま全体の1/3くらい読み進めたところでもう家族も親友も未来も全部捨てかかってる。しかもわたしの知ってるところのストーリーによると、このあと彼女のために殺人を犯してどこまでも破滅に向かっていくはず。かわいそうに。


この小説の読み方としては2つあって、1つは自分がマノンちゃんみたいに振舞えるかどうか測りながら読む方法と、彼女に溺れていくグリュウ君のようにならないように自戒しながら読む方法と。わたしはその両方を往き来しながら読んでるので、人の倍楽しんでいるのかもしれない。初めは、グリュウ君がどうしてマノンちゃんにこんなに夢中になるのか、全然わからなかった。物語はグリュウ君の一人称なんだけれど、マノンちゃんは意外と、あまり能動的にグリュウ君を誘惑したりしない。だけど大事なところはきっちり抑えるんだ。出会ったその日の積極性と、浮気をなじられたときの頭の回転の早さは天才的。「他の男性と過ごしていても全然つまらない。貴方ほど誠実に私を愛してくれる人はいないってわかったの」、これでグリュウ君は彼女の浮気を全部許してしまうわけですね。


わたしだったらどうだろう、と考えてみる。「他の誰よりも貴方はすばらしい」って言われたらグリュウ君は喜ぶかもしれないけど、ほんとに好きな人にだったら「貴方は全然すばらしい人じゃないけどそれでも好き」って言ってしまう気がする。だめだ、わたしはマノンちゃんみたいにできないな。


「女は天使にはなれないわ。なれるのは、巫女と看護婦とそれから娼婦」
わたしの好きな『月のこおり』という小説の一節。女は求められたものを与えることしかできない、ということ。生まれながらにして娼婦であるマノンは、男性全般に仕える巫女であり、傷ついた騎士グリュウを癒す看護婦でもある。そうして彼は彼女から離れられなくなる。


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ところで「マノン」という名前。ma non、「わたしの 否定」という意味を持つその名前はわざとなのかな。グリュウ君は判ってるんだ、この子といると身を滅ぼすって。でもそれを判ってて、だめだって思いながらそれでも彼女と片時も離れられなくて、自ら幸福な地獄を選んでしまうグリュウ君。わからなくもないけど…彼女に出会ったのが悲運としか言いようがない。出会ってしまった以上は、他の道はもう無いんだ。不治の病とはよくいったもの。