本日から通常営業しています


あらためまして。




新年早々、しばらく非公開にしていました。最初のほう読まれた方には見てのとおりで、閉じてる間もずっと書いていたのですけれど、あまり人様に見せるものではないな…と省みて、結局ファイルだけローカルに残して削除しました。
一旦はもうこのブログを公開することはないかも、とも思いました。もうここで書き始めて7年目になるのですが、わたしの20代はずっと心の底にいるその人の存在を消すことばかり考えてる歴史だったから。だけど叶わない恋であったおかげで却ってその想いに執着してしまい、何度も形を変えて追憶することになった。それらの言葉はときにはどこかの誰かのところにひらひら飛んでいったりもした。それを昇華というならそうかもしれないけれど、それで納得してきれいさっぱり忘れられるようなものじゃなかったので。


といって別に今になって叶ったのかというとそういうわけじゃないんだけれど!ただ、会いたくて会いたくて仕方なかった人に会えた瞬間、この人のためなら全部捨ててもいいや、と思ったんだ。それ以外にどうしても手に入れたいものなんてわたしにはないもの。


でもある人に言われた。全部捨てちゃだめだよ、その人がいなくなったらからっぽになっちゃうよ、って。
そうだよなぁって納得した。なぜかというと、久しぶりに会えたその日の最後に言われたから。「立派な社会人になったなぁ」って。そうだ、高校生の頃のわたしには何もなくて、向こうには広い広い世界があるように見えていた。それが悔しかったからわたしは自分の語るべき言葉を持ちたいと思ったし、ひとりで生きていけるよう強くなりたいと思った。そうして大人になったわたしを喜んでくれたのだから、わたしは全てを捨ててはだめなんだ。


折しも現在、森美術館で「医学と芸術展」が開催されている。月曜日に観に行ってきたんだけれど、隅々まで興味深くて、時間も忘れて夢中で耽った。トークショーでは養老孟司氏から東京芸大の布施先生の話が出て、かつて美術解剖学研究に憧れてたときのことを思い出した。無理矢理にでも大学院に行く方法はあったかもしれない、と今では思うけれど、いまだに興味は失せないどころか知識欲はますます貪欲になってるのだから、今からだっていくらでも勉強できる。そう、わたしが芸術学に魅かれた理由は、どうしたって抗えない執着心を一方で満たし、一方でそこから開放してくれるからだった。



そういうわけで通常営業に戻ることにしました。ときどきこうして乙女な妄言を挟んではお目汚しすることと思いますが、今後ともよろしくおねがいいたします。