ドーナツとティーカップは同じもの


 ○NHKハイビジョン特集「数学者はキノコ狩りの夢を見る〜ポアンカレ予想・100年の格闘」


本放送は2007年10月22日。それから何度目かの再放送で、初めて観ることができました。すごく親切につくられたドキュメンタリー。それでいて大袈裟な表現や過剰なセンチメンタルさがなくて、わたしがこれまでよく判らなかったところがほとんど回収できました。これはすごく良い番組。ぜひDVD化してほしい。


番組の構成は、ポアンカレ予想を解いたペレリマン*1の失踪から始まり、ポアンカレ予想とは何なのか、地球にいながら地球が球形であると証明するためのロープでの説明、宇宙にいながら宇宙が球形であると証明するためのロープでの説明、微分幾何学トポロジーについて、ポアンカレ予想を解こうとして挫折した数学者たちの歴史、2003年にペレリマンがアメリカの数学学会に解法の説明を求められた際の様子、そして最後に人付き合いを拒んで数学界からも身をひいたペレリマンの現在の様子が恩師の目から語られる。


ポアンカレ予想というのは、1904年にアンリ・ポアンカレが残した「単連結な3次元閉多様体は3次元球面と同相と言えるか」という命題です。つまりわかりやすくいうとどういうことなのかというと、ここではスペースが足りないので割愛。といって詳しく説明しなかったのはポアンカレ。でもポアンカレはこの命題を証明できると直感的に知っていました。偉大な数学者がそういうなら間違っているはずがない。そう考えて100年の間にいろんな数学者が挑んでは悩み、ある人は人生をかけて、ある人は孤独のうちに、必死に取り組んでは挫折してきたのがポアンカレ予想の歴史です。


割愛、とだけいうのは簡単なので、わたしの理解でよければ噛み砕いて説明します。
マゼラン一行は地球を一周して帰ってきたから「地球は丸い」といいましたが、それでは地球が球形であることを証明したことにはならない。もしかしたら地球はドーナツ状の形をしてるかもしれない。現在なら人工衛星なりで地球を外から見ることが出来るけれど、地球にいるままで地球が丸いことを証明する方法はないのか?たとえば長い長いロープを持って周航に出る方法。出発点に戻って来たときにロープを一ヶ所に回収できれば、地球は丸い。もし地球がドーナツ形だったら、穴を通るように一周してしまうとロープが引っかかるし、ドーナツの淵に沿って一周しても、ロープを地球の表面から離さないで一ヶ所に回収することは不可能。つまりこの方法なら、三次元の球面の表面上にいながら、一次元のロープでそれが球かどうかが確かめられるのですね。
これを宇宙に応用したのがポアンカレ。三次元の宇宙にいながら、一次元のロープを持ってロケットをとばしたら、宇宙が球体なのかそれとも真ん中に穴があいていたりするのかを確かめられるんじゃないか、ということです。ほんとは四次元にわたしたちが立てたら確認するのが簡単なんだけど、実際にはそれができないから。


(ここまで読んでくれている人がいるとは思えないけど続けます)


この番組でいちばん衝撃的だったのが、スメールとかサーストンとか、本で読んだことしかない数学者たちがインタビューに出て来たこと。そうか、まだ彼らは現役の数学者たちなんだ、ペレリマンだって43歳だもんなぁ。この数学界を揺るがした事件がつい最近のことなのにあらためて驚いて鳥肌がたった。しかし数学の世界での激震というのは、実際は荒波のようにやってくるものではなく、いろんな人が反証しようとして完全お手上げになったときにようやくじわじわやってくる。だからビックニュースにはなりにくい。そして2006年の自分が知らなかったことに激しく後悔。


ペレリマンのときも論文発表から反証不可能と認められるまで4年かかっている。この番組のなかで、ペレリマンがアメリカで証明の解説を求められたときの学者の反応がおもしろかった。「証明が終わってしまったと落胆し、トポロジーが使われないことに落胆し、さらに証明が理解できないことに落胆した」もしかしたら自分が解けていたかもしれない、という惜しい気持ちすら抱かせない、ペレリマンの物理学的アプローチで攻めた斬新な解法。これはショックだろう。しかし数学の外側の人間から見ているとあまりにもドラマティックでわくわくする。ロシアの地方都市の無名な数学者が、高校時代の知識を持ち出して鮮やかに解いてしまった、という作り話のようなこの結末。


ペレリマンが辞退したフィールズ賞のメダルは、まだ彼のために大切に保管されてあるという。わたしはペレリマンの気持ちをすんなりと理解できる。ポアンカレ予想に取り組むことで一番驚かせたかったのは自分自身であって、社会的に認められることが最終目標じゃないんだと思う。快活だった彼は、ポアンカレ予想の解決後、人との関わりを絶ってひっそりと暮らしているというけれど、わたしには彼が陰鬱のうちに生きているようには想像できない。きっと自分の頭の中の世界のほうが鮮やかで喜びと驚きに満ちていて、他の人間と交わるよりもおもしろくなったんだろう。


こんなに熱く語ってるわたしは、実は数学がほとんど出来ない。このポアンカレ予想ですら、しばらく離れていると頭から抜けていく。では何がそんなにわたしを駆り立てているのかというと、数学という「人工」のうつくしさだ。人の想像力ってすごいなぁと感動する(こういう言い方するのは人文系)。ポアンカレの開発したトポロジー(位相幾何学)は数学界のアール・ヌーヴォーだ、と番組のなかで言われていましたが、アール・ヌーヴォーも自然界からヒントを得た採算度外視のart(人工的な、という意味で)なのです。わたしはぶどうの葉の形や色も好きだけれど、図案化されたぶどうの葉っぱはもっと語り甲斐がある。そのアール・ヌーヴォー期に生を受けてポアンカレに影響されたデュシャンが現代美術の巨匠といわれ、デュシャン以後の芸術がコンセプチュアルな方向に向かっていく、その偶然のようで当然の展開がわたしにとって興味深いことであり、その前後の変遷を、好きな人の生い立ちについて知りたくなるような気持ちでつい追いかけてしまうのです。


                  *

きちんと筋立てて書けている気がしないのですが、これから実家に帰省するのでひとまずここまで。もしポアンカレ予想に興味を持った方がいたら、この本がおすすめ。

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者

*1:ペレルマン」の表記のほうが一般的だと思うけど、ここではNHKに倣って「ペレリマン」で。