安らかに眠れ


バンプの曲なら、いくらでも待てる。


R.I.P. / Merry Christmas

R.I.P. / Merry Christmas


というのは鹿野淳の言葉ですが、それ以上にバンプの唯一性を表現できる言葉は探しても出てこなかった。2年ぶりの新曲だってね。今年どこかの夏フェスに出るなら行きたいなーって思ってたんだけど、制作に集中してるから今年は出ないって言ってるのを聞いて、残念な気持ちよりも藤くんが曲を作ってるんだっていう情報が嬉しかった。それは待ち遠しい気持ちとはちがって、藤くんには外部の雑音を遮断して自分のペースで曲作りに集中していてくれるように願わずにはいられないから。藤くんはやっぱり特別な人だから、特別な声とストーリーテリングの才能を持った人だから、どんなに寡作でも、彼にはずっと歌をうたうことしか知らない孤独な少年でいてほしいと思う。


  「そこに君が居なかった事 そこに僕が居なかった事
   こんな当然を思うだけで 今がこれ程」


バンプの歌は変幻自在でさ、聴くたびにもくもく育つんだよね。ずっとこのフレーズのことを考えてるんだけど、どうしてそこに君が居なかった事や僕が居なかった事が「当然」なのか、自分だったら「今がこれ程」どうなのか、聴くたびに答えが変わる。最初は、自分が「居た」かもしれない過去の時代のことを考えた。だけど、自分が生まれる前と死んだ後のすべての時代と場所に、わたしは「居なかった」。それなら今のこの場所だって誰かの不在で満ちてるといえる。それは当然なのかな?『カルマ』でも歌ってたけど、いま自分のいる時代、自分の居る座標に「ふたつはちょっと入れない」。そのぶん存在すべきだった誰かが居ない、あるいは今自分が関わっている人は誰かが居ないから存在していられてる、という事実を考えたとき、それを当然と思えるだろうか?それを「怖い」というのはよく判るけど、わたしはそれを「愛しい」と思えるかなあ?