我が儘な子ども


そういえばなんで人間の身体は1人ひとつって決まってるんでしょうね。
頭のなかには、だれでも複数の志向性を持ち合わせているはずなのに。
たまにはこれじゃない身体になってみたい。


悠悠おもちゃライフ (講談社文庫)

悠悠おもちゃライフ (講談社文庫)



この本の森博嗣は、明らかに舞い上がってて機嫌が良い。読んでて笑っちゃうほど。
毎日気持ちよく生きてるのがわかる。


自分の我が儘さの背景を「あの頃は手に入らなかった」というトラウマで説明しようとする
森博嗣の口癖(というか言い訳)も、だんだんかわいらしく思えてきた。
“あの頃”というのは、小学生のころから30過ぎるまで、それぞれの段階で。
でもその欲求不満の時期を過ごしたのがかえって良かった、とは彼は絶対言わない。
もしなんでも与えられる環境にいても、彼ならもっとおもしろいことを探すだろう。
後天的にどうにもならない性質ってあると思う。森博嗣の場合はその子どもっぽさ。
子どもって世間知らずだから天才なんだよね。


             *


わたしは森博嗣みたいに他人のことを気にせずにはいられない。
自分の根本的な欲求を追求してみると
可愛くて賢い人間だと思われたいという気持ちが常にわたしを動かしているらしいんだけど、
その欲求を隠そうとする意識がどうしても外に漏れ出てしまうので、
いつまでたってもわたしは格好わるい。
でも本当に容姿に全く後ろめたさがなくて基本的なコミュニケーションが円滑に行えるんだったら、
それだけで対人関係のストレスが激減すると思う。
そしたら他のことに頭まわせるでしょう?
つまり結局は、そう思われている状態がいちばん自分にとってラクそうだから、そうなりたいんだ。
可愛くて賢い女だと思われるのが最終目標じゃない。単なる手段だ。
だから本当にやりたいことを実現するとか欲求を叶えるというのは、
自分ひとりのなかで完結することだったり自分次第だったりするので、今更願ったりはしない。



そういうわけで、手段は違えど抽象的なレベルで、
森博嗣の孤独な生き方は楽しそうだなぁと思って非常に共感する。



あーなるほど。これは森博嗣なりの幸福論なんだな。
自作の蒸気機関車の癖を見極めるのと同じように、自分の癖を見極めて制御した結果の幸福論。