ここではない、どこかへ


やらなきゃいけないことはたくさんあるのに、
毎日お昼まで眠って、嵐のDVDとか観て、夕方になったら本を持って近所に出かけてしまいます。
何にも拘束されない日々が与えられるとわたしはついこういう生活になってしまう。
つまり、夜型で、ハマったものに骨の髄まで熱中し、ひとりで完結できるサイズの娯楽を楽しみ、
なるべく人と会わず、なるべく繁華街にも近づかない、という生活を。
もっと理性的に動かなきゃだめだなぁとは思うんだけれど。



旅に出たい、どこか遠い場所に行きたい、という思いが募って読んだこの二冊。


夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語


ことりさん*1さんと恵文社の店長さん*2が勧めていたので、読んでみた。
このお二人の本の選択には絶大な信頼を置いているので。
なんというか、味わったことのない新鮮な感覚でおもしろい。
現実とファンタジーの間、深刻さと可笑しさの間をゆらゆらしてる物語が5編。
舞台もベネチアからロンドン、イングランドの田舎、ハリウッドとどんどんめぐる。
まるで多国籍な創作料理のコースを食べているような気分。


茶店のテラスで読んでいたんだけれど、
ちょうど夕方から夜になる時間で、風が吹いててすごい気持ちよかった。
それに余計なBGMがないぶん、ギターとかチェロの音が文章に乗って聴こえてくるの。
本を読む人には大きく分けて二通りいて、言葉を音に変換して「聞く」人と、
その文章が表現するビジュアルを「見る」人とがいるみたいなんだけど(わたし調べ)、
どちらかというと音に変換するタイプのわたしには、この本はすごくすごく「耳触り」がよかった。
(ちなみに堺さんは「見る」人っぽい。例の『文・堺雅人』でそういってた)



一号線を北上せよ

一号線を北上せよ


フランス語講座で一緒の人に『深夜特急』の話をしたらなんと装幀の話になり、
話が早い!と平野甲賀さんの名前を出したら、
その人は装幀をした平野甲賀さんのことは知らず、カッサンドルの装画が好きなのだという。
そして「沢木耕太郎のこれも装画がカッサンドルだよ」と貸してくれたのがこの本でした。


深夜特急』読んだのは、今確認してみたら去年の5月だった。
あのときは寝食を忘れて没頭してた。
それ以後、何冊か沢木耕太郎の他の本を読んだけれどピンと来なかった。
でもあの旅をとても特別に思っているのは沢木も同じだったみたいで、
この本に収められている短編の端々に、かつて夢中で旅した若き日々のことが出てくる。

ここではないどこかに。
しかし、だからといって「ここ」に強い不満があったわけではない。
単に「ここ」から「どこか」に「移動」したかっただけなのだ。


その表現に心から共感する。
各地の観光名所や名産を知りたいわけではない。
窓の外の風景をずっと見ていたい、あるいは異国の言葉に囲まれてすごしたい、
その恋い焦がれるような気持ちが、潮のように満ちたり引いたりしながらずっとわたしを動かしている。


そういえば表題の『一号線を北上せよ』ですが。
この中の一編「ヴェトナム縦断」とかかっているのですけれど、
ホーチミンからハノイに国道一号線をずーっと行くのです。
あの伝説のどうでしょうベトナム縦断を逆行するコースですよ!
両方合わせて見るとぜったいおもしろい。
そして穴ぼこだらけの国道の描写とかがはじまると、例外なく
「♪べっとなーむほーちーみん」って頭の中で流れてしまうのですが、
それがどうでしょうヲタのデフォルトだと思うので、そんな自分に満足してます。