はたらくということ


今日部屋を片づけていたら、大学の恩師・古賀先生からの手紙が出てきた。
「あきさんとは往き来があるそうですね。彼女とは縁があったのでしょう」と。
あったようです。久しぶりにお酒を酌み交わしましたが、時間を忘れるほど楽しかったです。
わたしも自分から声をかけるのが苦手な人間なのですが、長いこと遠慮していたのが嘘のよう。




仕事、というものについて最近寝ても覚めても考えている。(この貴重な連休に!)


基本的には仕事って「相手が欲しいものを与えることによって貨幣を得る」というシステムだ。
だとすると、働くことを楽しむためには、
1.相手に与えることに喜びを感じるか、2.制作すること自体に嬉々として取り組めるか、
あるいは、3.自分が得意なことのなかからニーズのあるものを切り売りするか、
どれかになるんだろう。



上の三つにはそれぞれわたしの頭に浮かんでいるロールモデルがいる。


相手に与えることに喜びを感じる、サービス精神の塊なのは、水野学。
クライアントも社内のスタッフもわたしみたいにただ憧れているような外部の人間までも
明るく照らして楽しませてくれる、とても有能な「経営者の右脳」。


制作すること自体を嬉々としてやってるのは、祖父江慎
クライアントや著者と見るというよりかは、装幀を手がける文章とか写真とか、素材に耳を傾ける人。
いわゆる職人肌の人。求められた以上のものをつい作ってしまうような。


自分が得意なことのなかからニーズのあるものを切り売りするのは、森博嗣
完全にビジネスとして割リ切っているから、仕事を単価計算して量産するし、
クライアントには絶対迷惑かけない。



例が極端なのかなぁ。
水野さんみたいな働き方が絶対できないのは、今の仕事始めて心から実感してるので、
1.はまずない。わたしにはサービス精神というものが欠けすぎている。
そして3.の森博嗣のやり方は最も合理的だし自分のペースを守れる働き方なんだけれど、
自分のなかに他人の欲しがる「得意なこと」がある気がしない。
でも本当は彼の生き方が一番理想に近い。外部とのアクセスを遮断して自分の趣味に没頭する毎日。
仕事のクオリティでいえば、2.の祖父江さんの成果物が一番ハイレベルだろう。
だけどときどき締め切りすぎちゃったりするし、会社の利益のこととか後回しだし、
制作することが好きすぎて非効率だとは思う。



天職というものが、人には存在するのでしょうか。
手紙をくれた恩師は「あなたは聡明な人だから」と期待してくれていた。
聡明な人間が社会に出るとこんなに使えないものかなぁ…って、
申し訳ないけれど今は先生の言葉を疑いたくなる。
でもわたしにも喜ばせたい人がいるとすれば、それは先生たちであり、数少ない友人たちだ。
大衆を喜ばせたい気持ちがないってはっきりしたなら、
わたしはやっぱり広告業をやめたほうがいいんじゃないだろうか。



脳内ジプシーはいましばらく続きそう。