飽和


ここのところ、重い出来事が続きまして。
別に記録して将来の自分に残したいわけではないんだけれど、
わたしのちっちゃい頭のなかで処理するには大きすぎて抱えきれなかったので
外に出してしまいます。
でもあらかじめ言ってしまいますが、もう大丈夫ですので。



おばあちゃんが、亡くなりました。
先週ぐらいから容態が良くないという話は母から聞いていて、
土曜日フランス語の授業を受けたあとにお見舞いに帰るつもりだったんだけど、
わたしが東京を出発するその矢先に亡くなったそうで。
看護婦さんたちは「もうすぐお孫さんが来るのでしょう、がんばって」って
おばあちゃんに声をかけていたそうだ。
…ああ、今書きながらすでに泣いてしまいそう。
あと1日、わたしが早く行っていれば顔を見れたのに。
結局わたしはおばあちゃんに何もしてあげられなかった。



でも実は、おばあちゃんの訃報を聞いた前日の金曜日。
仕事で自分の信頼がゆるやかに失墜するのを眺めてなきゃいけない状況になって
会社出たとたんにぶわぁって泣いてしまって、
泣きはらした顔では電車に乗れないから、家まで1時間歩いて帰ったのでした。
いつもだったら仕事と感情は切り離すんだけど、今まで溜め込んでいたプレッシャーとか憤りとか、
そういうのが全部あふれてしまった感じだった。
そして家に帰ってもさんざん泣いて、でも週末関西に帰れば少しは気持ちが落ち着くかな、って
思ってた、その矢先に母からの電話。
正直、少しだけ、ああ、月曜日に会社行かなくてすむんだ、って思ってしまった。



だけど結局、仕事の進捗が気になって、お通夜の後にもずっとメールでいろんな手配したりして。
本当は三日くらいお休みをもらってもいいんだけど、
おばあちゃんの葬儀が終わった次の日、朝一の新幹線で東京に戻ってきた。
そうして、結局は今日会社に行って良かったと思うんだけど、
身体のほうは次々やってくるストレスを処理しきれなくて、ずっと動悸が止まらない。
ちょっと疲弊ぎみ。



おばあちゃんの葬儀はひっそりと行われたけど、親戚がみんな集まった。
わたしは父方母方合わせて15人くらいいるいとこたちの中でいちばん年下で、
昔から泣き虫でわがままだったけど、ずいぶんとかわいがられた。
おばあちゃんにも、その前に亡くなったおじいちゃんにも。
だけど大人になった今なら判ることがある。
わたしがかわいがられたのは、わたしの性質以上に、
わたしが母の娘だからでもあったと思う。
その母が、泣いていた。
それを見てわたしは「今お母さんが死んだらどうしよう」と思って不安になった。
この年になっても、中身は泣き虫で甘えん坊な末っ子のままだ、ほんとに。



だけど葬儀の前後は、みんな明るかった。
前々から覚悟していたことでもあったし、それに、関西人ばっかりの集まりだから、
湿っぽいのが嫌だったんだと思う。
こんなときだけど、ほとんど楽しかったといえるほどに。
一度関西弁で仕事をしてみたいな、とときどき思ったりする。
そしたら、もう少しリラックスして仕事することができるのかな、って。



生きることについて、働くことについて。
ここのところ泣きすぎて頭が飽和しているので、なんだかもうよく考えられない。
とりあえず今は久しぶりの自分のベッドで眠ろう。
家族より会社より恋人より、ベッドがわたしにいちばん優しい。