後追い


向かいに韓国文化院ができるまでは、うちの会社の窓から国立競技場が見えました。
去年の9月、あの暑い日の夜、国立競技場の上空が光っていたのを覚えている。
「ライブやってるんじゃなーい?」とかって誰かが言ってた。
あれがあの子たちだったなんて、ねぇ。



思えばわたしはたいがい後追いです。
というか、人から勧められると好きになれない天の邪鬼。あ、見つけた。っていう瞬間がないとだめで。
まあ90年とか100年くらい前の人たちのことを追いかけるのにすっかり慣れていたから、
1年や2年や5年のライムラグは無きに等しいと思ってたんだよね。



…今、時空を超えて去年のわたしに言いたい。
とりあえずまっすぐ南へ走りなさい、せめて同じ風を感じなさい、と。



自分の知識と実際に起きた出来事とのギャップを、映像や文章で埋めれば埋めるほど、
1年とか、視界に入るくらいご近所とか、ちょっとしたニアミスがとてもはがゆい。
でも、かつてデュシャンに何度も感じた、
「どうしてわたしはあの人と同時代に生まれなかったんだろう」ってどうしようもない切なさ。
それを思えば、あの子たちは今同じ時代に生きて活躍している。
それって当たり前のことじゃないし、好きな人がいなくなったり沈んでいくのを見るのは哀しい。
だから、わたしは現在進行形の彼らの仕事になるべく立ち会っておくべきだと思う。



…とかいうことを考えていたら、まわりまわってあの人が結婚したらどうしよう、と夜な夜な想像してしまった。
松潤だと叫ばない。ただびっくりして笑っちゃうと思う。
その辺が観賞用というか、本来の意味のアイドル(偶像)としてこの人を見てるんだなぁって感じがする。
もし松潤が大理石の彫刻で、わたしの家にいてくれたら、もしくはルーブルとかに展示されていたら、
それで意外と満足かも。ポーズは翼と月桂樹をつけてコンテンポラリーダンスを踊るモモのアレで。