間を満たすということ
森博嗣はやっぱりすごい。
長めに引用していい?
会話をしなくても、充分に間を持たせることができる。
これはしかし、茶道などにも通じる感覚かもしれない。
おしゃべりをする必要がない。無駄なコミュニケーションを排除し、
時間と空間をもっと本質的なもので埋めようとする手法である。
あるいはまた、絵画などの芸術においても同様の機能が見出される。
美術館でおしゃべりなどしない。
やはり、コミュニケーションを排除した静謐さで空間が満たされているからだ。
何もない時間を消費させることが芸術鑑賞の主たる機能なのである。
わたしが思っていることをわたし以上に正確に、しかも洗練された表現で、物語の合間に挟んでくる。
それが絶妙なタイミング(わたしの場合はまさに今日じゃなければいけなかった)でやってくると
ある種のカタルシスをもたらすよね。視界がクリアになる感覚。
「良い文章は、読む人に“かつて自分が書いたことがあるのではないか”という錯覚をもたらす」と
いったのは誰だっけ?
大学時代にお世話になった女性の先生が、わたしが2週間ひとりで海外に行くときに言ってくれたこと。
「美術館に行けば絵画や彫刻と対話ができるからあなたは大丈夫」って。
それ以上に、わたしと芸術の関係を適確に表現した言葉はまだない。
絵画、オブジェ、それから書物に関わってるとき、静かだけどすっごく空間が充満してる気がするんだ。
誰かが作ったものだけれど、その制作者と直接言葉を交わすときよりも本質的な会話ができると思ってる。
読んでたのはこれ。
- 作者: 森博嗣
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2009/06/10
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何も起きない。ただただ初対面の二人が静かな料亭で食事をする。
でも間延びした静かさではなくて、なんとも言えない緊張感と不可思議さがある。
まだ最後まで読んでないから、伏せられている謎には最終的に説明があるのかもしれないけど、
判らないままでもいいや、と思う。森博嗣の言葉が頭を流れてる時間が気持ちいいから。
スガシカオが「こういうの好きなんでしょ?」って突いてくるのが切なさとエロさなのに対して、
森博嗣はアカデミックなところを突いてくる。言葉で脳をマッサージされてるみたい。(それもエロいな)
スカイクロラ読みたくなってきたな。
でも今あんなの読んだら、社会人として生きるのがますます苦痛になっちゃう。